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9月10日②
あの頃の私は彼の話を微塵も理解しようとしなかった。けれど、それで構わないと思っていた。夫婦だろうと好みまで一致しなくていいよね、そんな認識で処理していた。
他にも彼は、ペットを飼うことに正当性はあるのか、だとか、なにをもって人類の進化と呼ぶのか、だとか、死ぬとはどういうことなのか、だとか、様々な疑問と理屈と解釈を私に語った。
何度も同じ話をする人だったので、これらの話は出だしだけでうんざりするほど聞かされたけど、なにせ夫が私を置いてけぼりにして話すものだから、その中身はまったく覚えていない。けれどちゃんと聞いておけばよかった、なんて後悔もない。夫が死んでしまったとしても、相互理解がならないのであれば、戯言は戯言のままだ。
ずいぶん前のことだけれど、まだ付き合っていた頃に彼から、恋や愛というものは幻想だ、という話をされたときは、流石に私も怒った。
あなたがどんな哲学に被れようと勝手だけど、少なくともその話を恋人の私の前でしてくれるな、と。このことに関しては彼もすぐに反省して、謝罪してくれ、それから二度とこの話題になったことはなかった。
不器用、という一言で済ませて許すには、あまりに面倒くさかった彼の短所。死んだ今でもきっと許容はできそうにない。けれどそれはなんだか愛おしいことでもあるような気がした。ああ、死別したって、私と彼の関係性は、意外とそのままなんだな、って。
そうやってあれこれ思い出したり考えたりしながら、のんびり夫の日記を読んでいくうちに、私と彼の違いの根幹部分が見えてきたような気がした。
私が楽しいもの、好きなものを探すのと違って、彼は料理でもなんでも、自分から楽しもうとしているようだった。何事からも積極的に楽しみを見出そうとしていた。
そのことに気付いてようやく、私は彼に対して若干の誤解があったことを知った。
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