恋の呪文

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 金曜日の、夜が始まる。  週休二日制の会社に勤める会社員たちがこぞって街に繰り出す、無礼講の夜。  友人たちとの近況報告。  惚れた女をモノにしようと、ありもしない懐をはたいて豪華ディナー。  多忙な仕事でなかなか会えない恋人たちの、待ちに待った一夜のデート。  職場では決して口に出来ない、人間関係などの悩み事相談。  グルメブック探索による、女の子同士の美食ツアー。  そして中でも騒がしいことこの上ないのは、仕事仲間でのストレス発散。  彼らは、わがままな顧客やうるさくて頭の固い上司のいない所で、食いたい放題、呑みたい放題、言いたい放題、歌いたい放題、しまいには暴れたい放題の暴走列車。  酒が入っちまえば、こっちのモノ。何をしても許されるのさ。  たとえ、テーブルをビールの海にしようが、噴水に同僚をつっこもうが、娘の年頃の女の子にむりやりキスしようが、公共物を破損しまくろうが、彼らに罪の意識は全くない。 「すいません。酔っぱらってたから、記憶にないんです」  わはははは。  とぼけてごまかせ、笑ってごまかせ。  たとえ、ちょっと、頭の片隅に引っ掛かるものがあるとしても。 「全ては、酒の上の、あやまちなんです」  しょーがねーよなあ。『酔っぱらい』ってやつは、よ?  ・・・それが、日本の、隠された黄金律。 黄門様の葵の御紋よりも、ずっと、ずーっと効果的。  まあ、素敵。  酒さえあれば、スーパーマンにも、お大尽様にもなれてしまう。  あら、不思議。  それが、日本の戦うサラリーマン。  だって、毎日、毎日、蟻のようにせっせせっせと働いて、きついのです。つらいのです。  でも、そんなの、女房子供やお袋にゃ、口が裂けても言えやしない。  王様の耳は、ろばの耳。  こっそり言いたい、ぼろ雑巾に成り果てた胸のうち。  酒という、美しく美味しい名の元に、彼らは今夜も荒れ狂う!
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