雪と黄金の大地

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雪と黄金の大地

 慶長十七年に禁教令が幕府によって発された後も、松前藩はキリシタンたちに対して寛容であった。ゴールドラッシュのさなかであった当時の蝦夷地には、数万の単位で金掘りたちが押し寄せており、その中には迫害を逃れたキリシタン門徒たちも数多く紛れ込んでいた。しかし彼らは厳しい詮議を受けることもなく、大千軒岳の金山に密かなコミュニティを築き、信仰を守り続けていた。  しかし、寛永十四年の島原の乱を境に状況は一変する。二年後のある夏の日、大千軒岳で五十人が処刑された。大沢にて同数が斬首され、これを逃れた六人も、上の国石崎で捕らえられ、その場で処刑された。  同日夕刻、石崎村農民蔵六の家のかまどから、二歳ほどの娘が発見される。娘は「たえ」と名づけられ、十一年間、人別帖に名を記されないまま、その家で密かに養われ続ける。  蔵六は、決して自ら逃げることの無い奴隷を手に入れたのであった。  さて。     
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