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森をざわめきが近づいてきて、久蔵は下を向いた。ぴいっ、と笛を鳴らすような声をたてて、鹿が一頭、森から飛び出してきた。五頭、六頭、次々と山を駆け下っていく。木立の中から日本語の怒鳴り声が響く。「待て」とか「逃がすな」とか、複数の声が言い交わしている。不穏なものを感じた。鹿に続いて飛び出してきたものを見て、久蔵は目を疑った。
半裸に近い姿をした、若い女だった。髷を見ても、半ば引き裂かれた着物を見ても、アイヌではない。このあたりにはいるはずのない、和人の娘。雪に覆われた斜面を、いっさんに駆け下りていく。
木立が途切れた先は、いくらも行かないうちに崖だ。走る女の勢いがいくぶん鈍ったかと思われたとき、山なりに矢がとんできて女の脚に刺さった。女は声も上げずに倒れ、そのまま雪の中をごろごろと転げ落ちた。崖縁から二間ほどのところで止まる。すぐさま立ち上がろうとするが、見えない手で叩き伏せられたように潰れた。
「毒矢か」久蔵はつぶやいた。
女は手足を小刻みに痙攣させている。まもなく、三人の和人が追いついてきた。
背の高い手足の細い、痩せこけた男。雄牛のような体格の巨漢。二人には見覚えがあった。金掘りの六郎と八郎。弓矢を持ったもう一人も、おなじ砂金採りだろう。痩せこけた男、八郎が女の上にのしかかり、拳で顔を殴った。
「手間かけさせやがって。逃げられると思ったか。さあ、そいつをよこせ」
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