オルター・洋子「龍平洋漂流記」より 終章「雰囲気イケメン」…

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「雰囲気イケメン」じゃ、ありません  顔を拝んでから寝ようと「素敵な松田龍平」を画像検索すると「雰囲気イケメンベストテン」と出た。寝る前なのにカチっとくる。 「何とかイケメン」とか「何とか美人」ていう言葉は、いやらしいわね。 褒めるふうにしてナンクセ付けている。 もっと言えば「イケメン」て言い方自体、馬鹿にしてる。 普通に美男美女でいいじゃないの。  もしあなたが「メガネ美人だね」と言われたら、「メガネ似合うね」あるいは「メガネ取ったら、まあまあだね」という意味である。「性格美人だね」と言われたら「不美人だね」と言われたと受け取り猛省すべし。  初めて、夫(当時は恋人)の実家に訪れた時、私は若さの盛りの21歳だったが、義理の父は私のことを「現代的美人だね」と評した。すると夫はすかさず「まあ平安美人ではないね」と返した。後から「親父のああいうところ嫌い」と夫は言っていたが。お義父さんの気持ちも判る。自慢の一人息子が連れてきたカノジョが背の高い派手な顔の女だったから何となく嫌だったのだろう。私は性格的には楚々とした、おとなしい女だが、パッと見が派手なので警戒されたのだと思う。  夫と同じで、私も、松田龍平に関して「雰囲気イケメン」とか言われると「もちろん雰囲気も素敵ですけど正統派です」とムキになって言い返したくなる。  美の基準は人それぞれ。好みとなればもっと分かれる。そんなことわかっている。 でも、多くの人が好むと好まないに関係ない「整った顔」の基準というものがある。その基準に見合わせて、松田龍平の顔には恐ろしいことに破綻がない。整っていないものを雰囲気で何とかしているのが「雰囲気イケメン」なら、全く当てはまらない。  破綻ではないが目が異例だ。縦も横も小さい目なのに強い引力を持っている。あれはお母さんの血だろうか。昔観た映画で、松田美由紀が芝生の庭のテーブルにお茶かなにか運んでくるシーンがあり、前髪もなにもすべてアップにした毬のような丸い顔に、伏し目で出てきて、ぱっと瞳をあげた時の「引力」がすごかった。その印象に似ている。松田龍平の目はいわゆるぱっちりした目ではないし「切れ」が特別長いわけでもない。なのにビームが出てるみたいな力がある。しかし彼の美しさのキモは目より何より「構築と余白」にある。
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