1話 『家出』

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      ***  体が熱い。  煮えたぎる怒りに、全身の水分が蒸発してしまうそうだ。      カチ  体内が全部空間になって、音がどこまでも響く。  ハスの顔を見なくても、落ち着かなそうな彼の動きが視界に入る。  窓に当たっては見えなくなる雪。  暖房のきいていない洗面所では、息も白くなる。  カチ  ハスは、あの夜を知らない。  12年前。    父さんが、消えた日。  今でも夢に見る『あの男』の笑う姿。  父さんの哀しい表情。  幼い私と母さんが写る、冷たい姿見。    カチ    あと、一分。    鼻から入ってくる空気は、体に冷たい。      2月29日は、鏡に近づいてはいけないよ。  その言葉は、守れない。  あの日、12年前のこの日。 『あの男』を見てから、決めていた。  いつか、父さんを取り戻す。  12年前の2月29日。  鏡の中に、消えた父さんを。
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