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何かあるのかと思い、邦彦の視線のさきをたどっても、ただ暗い滝つぼがあるだけだ。
なんだかわからないが、ただごとじゃない。
康雄は自分のぶんと、邦彦のぶんの釣り具を片づけると、邦彦の手をひっぱって、どうにか立たせようとした。
「くにちゃん。帰ろう。ここにいちゃダメだ」
すると、とつぜん、邦彦は康雄の手をふりきり、ニッと笑った。ニタァと歯を見せる顔つきが、どうも正気じゃない。
「おい。邦彦。どうしたんだよ? 大丈夫か?」
問いかけるものの、康雄の声はふるえていた。
どうにも、いつもの邦彦とは思えない。
別人のようだ。
邦彦はケラケラ笑いながら、クーラーボックスにとびついた。そして、そのなかを泳ぐ鮎を両手でつかまえると、生きたまま、頭からかじりだした。
あたりに血がとびちった。
なまぐさい匂いが、むせかえるように充満した。
康雄は腰をぬかした。
足がワナワナふるえて、はうこともできない。
バリバリ。ガリガリーー
みるみる十匹あまりの鮎を食べつくした邦彦が、康雄を見た。口元は真っ赤で、ギラギラ目が光り、野獣のようだ。
何事か、ブツブツ言っている。
康雄が耳をすますと、それは、こう聞こえた。
「足りない。まだ、足りない……」
赤く光る目で、康雄をにらむ。
こいつ、おれを食う気だーーそう思ったとたん、足が動いた。
康雄は悲鳴をあげて逃げだした。
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