愛、葬る

7/20
前へ
/421ページ
次へ
お手洗いの鏡の前に立ち、メイク道具が無造作に入ったポーチをゴソゴソ漁る。 取り出したリップを塗り直すと、両手で頬をパチンッと叩いた。 今日は由希子さんを元気づける日。 私が落ち込んでちゃダメだ。 「笑え、笑え…」 呟きながら鏡に向かって笑ってみる。 引き攣った口元のせいでわざとらしく見えてしまい、大きなため息が出た。 気を取り直し、席に戻るため、長い廊下を進む。 店内に流れる甘いジャズバラードは、ムードを最高潮にしてくれるのだろう。 テーブル席に座る恋人達はウットリ聴き入っていた。 「あれ?音羽ちゃん?」 突然、向こう側から歩いてくる人に名前を呼ばれて足を止める。 見覚えのあるその人は、キッチリとスーツを着こなし、フワフワな髪の毛を揺らす柴崎さんだ。 「お久しぶりです…」 「タコパ以来だよね。元気にしてた?」 「はい。柴崎さんも元気そうですね」 「激務続きで死にそうになってるけど、なんとかね」 引っ越してからというもの、彼と関係のある人達とも距離を置いていた。 親友の恭弥さんはもちろん、同じ会社で働く柴崎さんや柏木さんもそう。 新生活を始めるにあたり、携帯と電話番号を変えたのは私なりのケジメだった。 彼との関係を完全にリセットしなければ、離れることを選んだ意味がない。
/421ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4295人が本棚に入れています
本棚に追加