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お手洗いの鏡の前に立ち、メイク道具が無造作に入ったポーチをゴソゴソ漁る。
取り出したリップを塗り直すと、両手で頬をパチンッと叩いた。
今日は由希子さんを元気づける日。
私が落ち込んでちゃダメだ。
「笑え、笑え…」
呟きながら鏡に向かって笑ってみる。
引き攣った口元のせいでわざとらしく見えてしまい、大きなため息が出た。
気を取り直し、席に戻るため、長い廊下を進む。
店内に流れる甘いジャズバラードは、ムードを最高潮にしてくれるのだろう。
テーブル席に座る恋人達はウットリ聴き入っていた。
「あれ?音羽ちゃん?」
突然、向こう側から歩いてくる人に名前を呼ばれて足を止める。
見覚えのあるその人は、キッチリとスーツを着こなし、フワフワな髪の毛を揺らす柴崎さんだ。
「お久しぶりです…」
「タコパ以来だよね。元気にしてた?」
「はい。柴崎さんも元気そうですね」
「激務続きで死にそうになってるけど、なんとかね」
引っ越してからというもの、彼と関係のある人達とも距離を置いていた。
親友の恭弥さんはもちろん、同じ会社で働く柴崎さんや柏木さんもそう。
新生活を始めるにあたり、携帯と電話番号を変えたのは私なりのケジメだった。
彼との関係を完全にリセットしなければ、離れることを選んだ意味がない。
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