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①
翔は、中学の終わりに、百メートルで十秒五〇の記録を残した。公式記録ではない。風のない、冬の、卒業式の日だった。卒業式の朝だったから、まだ卒業していない、だから中学の終わりで語弊はないと、思っていた。
その時タイムを計っていたのは、翔の幼馴染みの、夢だった。翔はその夢の切ったストップウォッチを、素直に信じた。何故なら中学記録を超えるタイムだったから、それだけの理由だ。信じるのに、確かさはいらなかった。少しでも自信とその根拠をもって、高校に行きたかった。それは誰かに話すような根拠ではなく、自分の胸に秘める根拠でいい。夢は同じ高校に進む。それで高校でも、陸上部のマネージャーになると言っている。また同じだね、と笑った。翔にとって、そんなことはどうでも良かった。
入学式までの間、翔は毎日走っていた。夢と一緒に、朝、中学のグラウンドに行く。
夢は、栄養バランスを最高に考え尽くして作られた弁当と、スポーツドリンクを持ってくる。タオルや、着替えも持ってくる。
翔は、走る。ただひたすら走る。
翔は、何度言われても、走る以外のことをするつもりはなかった。ただ走りたかった。筋トレやストレッチ、体幹トレーニングは絶対にしなかった。何度も百メートルを走る、ひたすら走る、走れなくなるまで走る、走れなくなったら休む、水分を補給する。そしてまた走る、ただひたすら走る。
百メートルは、もう自分の呼吸と一緒だった。百メートルを走ることで、息を吸って吐いた。一瞬たりとも休みたくなかった。だから限界まで走ったのだ。もう走れないなら諦めるしかない。もちろん、タイムは、一度目のランから、どんどん落ちていく。最後の方では、二十秒くらいかかる。
それまで翔は、走るのをやめない。
限界まで、走り続けて……。
翔は、春休みの間、卒業式の日に出したタイムを一度も超えることができなかった。一度も超えることなく、入学式を迎えた。
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