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枸橘は首筋付近の毛並みをかき分けて、地肌部分が見えるように顕子へ示した。そこには、ざっくりと刃物で切り裂かれたような大きい古傷が残っていた。
「これは、僕が子供の頃にフクロウに襲われた時の傷だ。突然真後ろから首を掴まれて、しばらく宙吊りで運ばれたよ。抵抗して運よく外せたが、その時に鉤爪が食い込んでこうなったんだ」
「それって……」
顕子は返してよい適当な言葉が見つからなかった。枸橘は別に構わないというようにかぶりを振る。
「同情みたいなものは結構だ。これが『食べる』ということの本質だからな。君も僕も、こうして鶏肉を安心して食べていられるのは、誰かが代わりに鶏を絞めているからだ」
「……確かに」
「人間は食われて殺されることが少ないから実感が無いだろうが、自然の生活を例えるなら――そう、ウォーキングデッドかピーターラビットの世界だな」
顕子は一見正反対の例えに首をかしげる。出てきた作品名のイメージが結び付かない。
「すみません、その二つが同列に並ぶ意味が分かりません」
「上原くん、知らないのか? ピーターラビットの絵に時々英文が添えられているだろう。あれは『ピーターのお父さんはウサギパイにされてしまいました』って意味だぞ」
「……そんなに殺伐としたお話でしたっけ」
「勉強不足だね。大学は英文科だろう、うちでも人気のシリーズだから押さえておかないでどうする」
またいつもの小言を続けそうになったところで、枸橘はいったんため息をつく。
「まあいい、話を戻すぞ。要するにだ、食べ物を得るためには誰かを殺さなければ手に入らない。翻って、自分が誰かに襲われる危険も常にある。人間社会では、お金を払えばそれを誰かが代行してくれる。これほどありがたいことはないだろう。生きた鶏から親子丼を作ろうと考えられるか?」
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