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顕子には何時間にも感じられた待ち時間の後、ようやく到着を知らせる音が鳴った。やっと帰りつける、そう思って中に踏み入れようとする、が。
「あら、あなたは……」
エレベーターの中の人物と目が合ってしまった。そこには顕子を見て驚いている見知った女性がいた。
顕子の部屋の隣に住んでいる人だ。名前は知らないが、この時間と朝一番に時々見かける。今から夜の仕事に出るのか、蝶柄の和装を美しく着こなしていた。
時おりすれ違うたび、こんな素敵な大人の女性になりたいと思わせる、不思議な空気をまとったお隣さん。
そんな凛とした佇まいで輝かしい姿は、今の彼女には眩しすぎた。
顕子は自分のみじめさを一層突き付けられたように思えてならなかった。わけの分からない悔しさに、ぎりぎりと歯を食いしばる。
急に泣き出しそうになった顕子を和装の女性が心配する。
「どうしたの、何か嫌なことでも――」
「ほっといてください!」
訝しむ隣人を強引に押しのけて、顕子はエレベーターの中で一人になった。
正しい階を押したのかも定かではない。モーター音だけが聞こえる狭い箱の中で、顕子は静かに涙をこぼした。
壁にもたれかかってそのままずるずると座り込む。スーツの背中が汚れようと、今の彼女にはどうでもいいことだった。
「もう、どうでもいいや……」
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