変身の末

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 そもそも私は無神論者であり、神などという存在を認めてはいない。オカルトに対しても姿勢は同じくしている。  であるならば、これはペナルティなどではない。  そのような――このような私のように時を逆行した人間に課せられる罰もしくは重荷ということであればそれは神のような存在を認めるということになる。  人間はひたすらに人間を最上としていればよい。上に神など創造するから科学的な思考を投げてしまう。  私の記憶障害はおそらくは単純な事故であったのだ。  自身の見解では、これは時間を戻したのでなく、未来の私の精神がこの年代の私へとシフトしたに過ぎない。  そのような業は決して容易なからくりではないだろうから、きっと大量の負荷とともに私の記憶に支障がでたのであろう。  元来思い込みの強い私であるが、そうだと断定してしまえば怖いものなどなくなる。  そうであると思ったのならば、それは道理なのだ。  世界にはきっと私と似たような目に遭った人もいるに違いない。しかし信じてなどもらえず、彼らはほら吹きとして生き大した人生を歩むことなく、この幸運を逃しているのだ。  これは神の御業でもなく、オカルトでもない。  ただ人間には稀にこのような『症状』を発症するものがいるという、ただそれだけの話であい違いない。  私はその発症者であり、そのような大病を患った人間である。  グレゴール・ザムザは虫になったが、私は幼少の『私』になったという、  本当にそれだけの話である。  私は私に『変身』したのだ。
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