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先輩が泣いている。号泣ではなく、雨粒が窓ガラスをゆっくりと伝うような静かな泣き方。それはものすごく先輩らしい泣き方だと、私は物陰からその様子を見つめながら思った。
いったい私は何をしているのだろう、とは自分でも思う。人が失恋するところを見て楽しめるほど悪趣味じゃない。だけど見てしまったら、見なかったことにはできない。
振るくらいなら、手づくりのお菓子なんて受け取らなければいいのに。あのちいさなマフィンに、先輩の想いがどれほどこもっていたか、わからないのか。
私は、腹を立てていた。けれどそれ以上に、ものすごく胸が苦しかった。私には何もできない。ただ隠れて見ているだけで、慰めの言葉をかけることすらできない。
先輩は学校を出てふらふらと歩いていった。足取りは覚束なく、ふとした瞬間に倒れてしまいそうだった。
いつも通り、声をかけるつもりはなかった。あくまで気づかれないよう、影のように、後をつけていた。はずなのに、同時に、思ってしまった。
私に気づいてほしい。
私の存在に気づいてほしい。影じゃなく、目を合わせてほしい。あのときみたいにーー。
そのとき、ふと、気づいたことがあった。
私の他にもう1人、先輩を尾行している人間がいる。そいつは男だった。見たことのない、中年の無精髭を生やした男だった。私とは違う、明らかに、先輩に何かしようとタイミングを伺っているふうだった。誰が見ても変質者とわかる目つき。そしてその手には、小型のナイフが握られていた。男はそばにいる私の存在には気づかず、先輩の後ろ姿だけを舐めるように見つめている。
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