出奔

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 結局のところ、二人のあの忠告は、世間で言う「立派な大人」の忠告なのだと思います。だって、世間知らずのぼくの目から見たって、二人は紛う事なき、「立派な大人」そのものだもの。  お父さんは、世間の誰もが知る有名な大学から、誰もが知る有名な大企業に就職し、今やかなりの地位にまで出世しました。お母さんも、やはり人々が憧れる有名な企業で働いた後、お父さんと結婚し、二人の子供を、何不自由させることなく育て上げました。これが、世間的に「立派な大人」でないとしたら、いったい何なのだろう?子供のぼくにそう思わせるほど、二人は「立派」なのだと、ぼくは思います。  二人にとっては、そんな「立派な大人」としての人生は、きっと、素晴らしいものなのでしょう。しかし、悲しいかな、その子供のぼくにとって、「立派な大人」として生きるのは、あまりに苦しかった。でもそれは、別に職場で虐められているからとか、超長時間労働で死にそうになっているからとか、そういう理由ではない。そうではなくて、起きて息をしている間、「ああ、生きていて良かった、毎日が楽しい」と、そう感じることが一瞬たりともないこと、これが苦しいのです。そして、たまらなく悲しいのです。  こんな気持ちにさせるために、あなたたちは今まで大金をかけて、ぼくを育ててくれたの?違うよね?
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