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紋白蝶は己の触覚を、野兎の眼球が零れかけた眼孔に差し込み、中から得も言われぬ色味をした液を引っ掻き回して抉り取り、舐める。光を拒んだ虹彩が、幾重にも重なって群がる紋白蝶でつくられた一つの影を力なく映し、停滞していた。飛ばす鱗粉は酸としての役割を果たしているのか、落ちたところから皮膚が溶けて、内側の肉が見え、紋白蝶はそれを異星人のように野蛮に貪るのではなく、少しずつ刮げ落としていくのだ。神経症的に蒼白く発光する舌は血や脂肪を舐め取る度にてらてらと耀きを増し、それが、いつの間にか空に昇っていた名月を妖しく引き立てる。 「酔うような月ね」 紋白蝶を舞台の中央に据えたこの惨劇から眼を逸らせないまま、そう言った。正直、月なんてろくに見ていやしなかった。ただ、黒真珠のように照る紋白蝶の翅の黒点を暈かす琥珀色をなんとはなしに盗み見て、未だ瞼を下ろして惨劇を見ないフリをする神様へ、同情と、嫌悪を交えて声をかけただけに過ぎない。そう、最も残酷なのは、私のこういった言動だったのかもしれない。というのも、全ての産みの親である神様が、子である野兎と、同じように子である紋白蝶が織り成す惨劇を見たがらないというのは、その産みの苦悩を顧みて仕方ないものだとわかっている。激痛を以てして産んだ我が子たちが、ほんの少しの感情も配慮もなく、ただ貪られ、貪る自然のサイクルを、神様が悲しく思うのも少しは理解出来よう。それも全て神様に私と同じ‘心’があるのだと思えば、愛おしくもなろう。だから私は同情した。けれど、少なくとも真実の一面であるこの瞬間を見届けずに済ませようという狡猾さと保身に対し、嫌悪も抱いているのだ。そうだ、これは明らかに真実の側面だった。貪られる立場の子がいるのならば、貪る立場の子がいなければならない。それから眼を逸らすのは、結局は臆病者の心理だ。眼を開いてとくと見るべきはずのこの惨劇は、見ないで済ませるには余りに真実を含んでいる。産むのなら、死の瞬間も見届けねばなるまい。それなのに、神様は眼を閉じて、あからさまに見ないよう努める。その弱さが、気に障った。
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