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汽車から押し出されそうになり、リーリエは声を震わせた。
「待って、おねが……! そうだ、これを」
金を押し付けた上、身に着けていた美しい腕輪を、車掌に差し出した。それなりに値打ちのあるものだ。
本当は渡したくなかった。以前父からもらった、大切な腕輪だったのだ。今では形見ともいえるものだが、もう他に渡せるものはない。
車掌の目が丸くなる。そして意味ありげに細められた。
興味深げに腕輪を見下ろすと、肩を掴んでいた手を離す。
「ふうん、私はそんな物では……」
「ね、いいでしょ? 見逃して」
リーリエは必死に笑みを浮かべて差し出した。
「それなりの値段で売れるわ。乗車券よりも高く」
汚いやり方だと分かっている。父のくれた物をこんな風に使いたくなかった。
しかしここで降りれば、間違いなくあの男に捕まり、殺されてしまう。
泣きそうになりながら笑みを貼りつければ、相手は口の端を上げてそれを受け取り、懐へと隠した。
「まあ今回は見逃してやる。次はないぞ」
そう言って元のすまし顔に戻ると、何事もなかったようにこちらを見下ろした。
「向こうの客席が空いてる。クインズベリーまでは長いからな」
ちらりとこちらを一瞥し、さっさと客室の向こうへ消えてしまった。
再び汽笛が鳴り響く。
それは伸び伸びと辺りに鳴り響き、やがてゆっくりと車両が動き始めた。
シュッシュッと煙を吐き出す音が聞こえる。
視界の端で、追手の男はまだ駅舎をうろついていた。
リーリエは身を竦める。
視界はだんだんと流れて行き、とうとう彼に見つからないまま、蒸気機関車は駅舎を出発した。
煙を吐きながら汽笛を鳴らし、まだ見ぬ地へと走り出す。
リーリエはようやく、大きく息を吐いた。
――――クインズベリー。
車掌は確かにそう言った。
確か父も口にしていた。調べ物をしながら、ぶつぶつと「クインズベリーに行けば……」と呟いていたのだ。
本当なら、婚約者のいるシーメルに行けば良かったのかもしれない。
クレイグは真面目な男だから、リーリエを助けてくれるだろう。けれどきっと、リーリエと関わることで、彼も危険に巻き込まれてしまう。
ならば、もっとどこか別の地に行くべきなのだ。
そしてクインズベリーは、父の求めた秘密の眠る場所だ。
そこへ行けば、彼が殺された理由も分かるかもしれない。
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