神武貴士

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 以前、貴士は菫が教室で一人、クラリネットの練習をしている姿を見かけた。複雑な構造の金属部分に触れては離れる細い指。音の世界に入り込んでいるのか、やや眉根を寄せて閉じた目。しっかりマウスピースをくわえている口元だけみればブサイクに見えなくもないのだが、真剣に演奏している姿はかわいかった。 「私だって休みはあるよ。神武くんと……休み合う日、どこか一緒に出かけない?」 「うん」  ああ、また菫に言わせてしまった。いろいろ頭で考えてしまうと「うん」しか出てこなくなる悪い癖だ。貴士は自分にうんざりし、思わずため息が出た。 「あ、嫌ならいいの。なんか、デートみたいだし」 「いや、デート行きたい」  貴士ははっきり言葉にしたことを後悔してなかったが、二人ともつないでいた手のひらは汗でびっしょりだった。 「あ、ごめん」  貴士は手を離し、制服のズボンで拭った。菫はタオルハンカチを出すと、自分の手を拭いてから、それを貴士に手渡した。 「あ、いいって。汚れるし」 「いいの。もう一度つなぎたいから拭いて」  結局どちらも「付き合おう」と、はっきり言ってなかったが、今はこのままでいいんだと貴士は思った。お互いの気持ちは確かめられた気がする。  ハンカチを間に挟んだまま、二人は手をつなぎ、微笑み合った。日はすっかり暮れ、藍色の空には星が瞬いていた。
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