6.純と香 コオルリンゴ

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予定よりも早く陣痛が始まり、連絡を貰って急いで出張先のグアムから引き上げたが、東京に着いた時には無事に生まれていた。 「すみません、遅くなってしまって」 「いえ。お仕事に影響を出してしまってごめんなさい」 病院の個室。春の腕の中におくるみをされた皺だらけの新生児がいる。 これが息子か……。 当たり前だが春は出産と不眠で憔悴していた。命がけで自分の子を産むためにボロボロになった妻を見て、自責の念が激しく迫る。 なんと声をかけていいか分からなかった。 ありがとう?よく 頑張ったね? 楽しみにしていた? 普通の夫が言うべき言葉を、どれも言えなかった。 「立合出来ず申し訳なかったです」 ようやくひとつ、そんな言葉が出た。 「立合なんてとんでもないです。綺麗でもありませんし、純さん、びっくりすると思います」 「何か、できることはありますか?」 春は小さく首を振った。 「この子のことは、実家の母やベビーシッターに助けていただくので、純さんはお仕事に専念してください。大変なんですよね、今」 「そうですね……」 息子が泣きだした。物凄い声量で面食らった。赤ん坊というのは、物凄いエネルギーを持っている。 「急に泣き出して、どうしたのかな?」 思わず伸ばした手は、さっとかわされた。 もはや、ばい菌だな……私は自嘲し手を引っ込めた。 春が今、どういうつもりで避けたのかは分からないが、確かに私は子供に触れていい手ではなかった。 「申し訳ない。実は、すぐに戻らなくてはいけなくって」 「そうですか。気を付けてくださいね。来てくれてありがとうございました」 結局、悟を抱かずに部屋を後にした。 帰りしな、赤ん坊を抱いた幸せそうな夫婦とすれ違った時、自分がなんなのかますます分からなくなった。 突き詰めていくと、自分の存在意義すら分からない。 私という夫は、本当に必要なのか? 私という父親は、本当に必要なのか?
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