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午後の授業が始まってからも、勉強などする気には到底ならなかった。
窓際の席で机の上に教科書を広げたまま、それとなく教室の中を見渡す。
七緒さんは言っていた。「フタクチは自分が喰った人間に化けて、取り逃した獲物を必ず仕留めに来る」、と。
もし茜音の怪我がフタクチの仕業だとすれば、奴は既に私のすぐ傍まで来ている。そしてそれはもしかすると、クラスメイトの中の一人に紛れ込んでいる可能性だってあるのだ。
その時、背後から視線を感じる。
(堤……佳乃)
長い黒髪を耳に掛ける仕草をしながら、彼女は確かに私の様子を窺っていた。
彼女とはこれまでほとんど話をしたことはなかった。彼女はいつも取っつき難い雰囲気を出していて、私だけでなく他のクラスメイトたちもどこか距離を置いている存在だった。
(フタ……クチ)
私は慌てて制服のポケットに入れていた御札を握りしめる。もし彼女が茜音の指を切り落とし、紀能さんを喰い殺したフタクチであるとしたら、今私はそのすぐ近くで無防備に背中を向けていることになる。
「……」
現代文の教師の抑揚のない朗読が教室に響く中、冷たい汗が背筋を伝っていく。
七緒さんは魔除けだと言っていたが、この御札にそれほどの効果があるとは思えなかった。フタクチが近付けないほどの呪力があるというのであれば、紀能さんがあれほど無残に殺されることは無かったはずだ。
教卓から見えないよう、机の陰にしてスマホを取り出す。
もし何か起きたら……いや、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
その時には、もう私の命はないのだ。
(幹二……さん)
震える手でスマホをタップしようとした時、突然隣の席の男子が小声で話し掛けてくる。
「……大丈夫か? 藤繁」
慌てて顔を上げる私を、その男子生徒――田所純也は心配そうに見つめていた。
「顔色、真っ青だぞ」
「あ……ううん」
私語を咎める国語の教師の視線がこちらに向き、急いでスマホを机の中にしまう。
再び静寂の戻った教室で、自分を落ち着かせるように深く息を吐く。
今はこの御札にすがってでも、七緒さんの言葉を信じるしかなかった。
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