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まるで薄っぺらい紙を切りつけたような感触だった。
口元に薄気味の悪い笑みを浮かべた女の顔が、黒い粒子状になって拡散していく。それとともに、血に濡れた赤い手も、影を纏った体の輪郭までもが闇に紛れるように飛び散っていく。
「……う」
力なく壁にもたれ掛かった私の手から、カッターナイフが鈍い音を立てて地面に落ちる。
フタクチが消え失せた後には、閑散とした元の風景が残っているだけだった。
鬱蒼と茂る藪の中から、鈴虫らしき虫の音が静かに鳴り響いていく。
「ひ……」
かろうじて動く足を引きずり、建物の陰から出る。
「た、助け……幹二」
ふらつきながらも、少しでも街灯の明かりのある方へと向かう。
今の光景はいったい何だったのだろうか。
漆黒の闇の中、灰色の影をしたフタクチは間違いなく私のすぐ目の前に居た。
その緋色の瞳の奥に、嘲るような笑みを浮かべて。
何故、私を殺さない。
何故、私を喰らわない。
獲物である私が、すぐその牙の届く距離に居たにも関わらず。
開けた散策路に辿り着いてがくりと膝をついた時、その先のベンチに座っている人影が視界に入る。
「は……遥!?」
長い横髪を垂らしたその若い女の横顔は、間違いなく遥だった。
「遥っ!」
起き上がった私は、息を切らして街灯の明かりの照らすベンチへと駆け寄る。
眠ったようにうなだれている遥の傍へ近付いた時……、ふと、どこかで嗅いだような血の臭いがした。
「……遥?」
ベンチの前に来て手を伸ばそうとした瞬間――、気付く。
遥の顔の右半分が、食い千切られていることに。
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