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4 緋色の牙
天指山に着いたのは、すでに真夜中を過ぎた頃だった。
ほとんど訪れる人も居ないのだろう、天指山は案内板も無くひっそりと静まり返っていた。
車一台がやっと通れるくらいの細い山道を、七緒さんの運転するワゴン車はゆっくりと進んでいく。朽ちた枝葉をタイヤで踏み鳴らす音が響く度に、樹木の間から真っ黒い鳥が飛び立つ姿が見える。
「昔からこの山には、人を喰う鬼が住んでいると言われていたわ」
ヘッドライトの灯りが照らす道の先を見つめたまま、七緒さんがぽつりと告げる。
「山に立ち入った人間を手当たり次第に喰らった鬼は、ついには天に住む神までもを喰らおうとした。この山の名前……『天指』というのも、本当は『天裂』、若しくは『天刺』、神を裂いて喰らおうとした鬼に由来していると言われているわ」
「天を……裂く」
そうしてしばらく舗装されていない道を進んだ後、七緒さんは少し開けた場所で車を停める。
「七緒……さん?」
「この場所、覚えていない?」
エンジンを切った七緒さんが、ヘッドライトの照らす林の方へと視線を向ける。
「いえ……」
「そうね。いえ、きっと……そう。覚えていないというよりは、元からあなたの記憶には無い。だから、今ここに居る」
「どういう……意味ですか?」
七緒さんが何を言いたいのか、分からなかった。
訝しげに訊ねる私に、七緒さんは運転席のドアを開けながら言う。
「ここは……あの事件があった場所。ここで十三年前、藤繁樹市と藤繁奏、そして……藤繁冥奈がフタクチに襲われた」
「……」
「山の中でフタクチに出くわしたあなたの両親は、車を停めたこの場所まで必死に戻ってきた。そしてあなたを守り、庇いながらフタクチに殺された」
「どうして……今更そんな所に私を」
批難めいた口調で告げる私を横目に、車を降りた七緒さんはライトの照らす藪の方へと歩いていく。
どうして七緒さんは平然としていられるのだろうか。
フタクチが今も天指山に居ると言ったのは七緒さん本人だ。しかもここは私の両親がまさに襲われた場所だというのに。
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