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「ああっ!…大丈夫?」
部長が慌ててこちらに向かって来て、俺の足元にハンカチを当ててコーヒーのシミを取ろうとする。
「す、すみません。大丈夫です…」
俺は部長が足に触れる前に屈んで、スラックスや靴下と革靴を拭き、床にこぼしたコーヒーも一緒に拭き取った。
「でも、このままじゃシミが…」
「大、丈夫です…。その、4ヶ月程、前に…気分悪くなって…病院に…」
勇気を出してもう一度言ってみたが、部長は小さく首を傾げただけだった。
あぁ…本当に俺の事なんて覚えていないんだ……。
助けた事すらも何も覚えていないんだ……。俺の事なんて全く心にも残っていなかった…。
「いえ……何でも、ありません…失礼、しました」
俺は立ち上がってハンカチをポケットに詰め込む。泣きそうになるのをグッと堪えて部長に礼をする。
部長の顔はもう全く見れなかった。
「初めまして、先週からこちらに入りました代永 景都といいます。これからよろしくお願いします」
部長はニコっと笑って『…こちらこそ宜しく』と握手を求めて来た。
ゆっくりと俺も手を出す。触れた手が大きくて温かい。俺の背中を摩ってくれたこの手…やっぱり間違いない…間違いないのにどうしていいのか分からない。
握手が終わると俺はもう一度部長に礼をしてそのまま部署を出ようとした。小宮の横を通った時に声をかけられた。
「代永、どうした?」
「ゴメン、小宮。トイレ行ってくる…シミ取らなきゃ」
部署を出た俺はトイレの個室に駆け込んだ。
この4ヶ月、部長の事を忘れた事は1日もなかった。前の会社の近くに行くのが不安だったが、もう一度会えればと思って倒れた場所に行ってみたりもした。
結局、再び頭痛と吐き気が酷くなり何も出来ずに戻ってくるしかできなかった。
そうなってでも、会いたい人だったのに……。
『初めまして』と言われた言葉が頭の中で反響する。
俺は声を出さず個室の中で涙を流し続けた。
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