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番外編④いつまでも手を繋いで
冬休みが終わり、登校してすぐに三年生は受験で大忙しだ。
もちろん、篠原のその中のひとりである。
改めて、高校三年生だと実感させられる。受験生でもある篠原の邪魔をしたくなかった翔太は、逢いたい気持ちを胸に秘めたまま連絡もそこそこにしか取らなかった。
ましてや、篠原は三学期がはじまってすぐにセンター試験を受けるとのことで、翔太と逢いながらも空いた時間をうまく利用してしっかり勉強していたそうだ。
「そういえば、芥さんってどんな大学を受験するんだろう」
よくよく考えれば、大学の話など受験に関わる話をあまりしてこなかった。受験をするということは聞いていたが、詳しいことまでは聞いていなかったのだ。
ただ、篠原からセンター試験の日程は聞いている。
「……三日後」
カレンダーを眺める。応援しています、とメッセージを送りたくても、プレッシャーを感じられたら申し訳ない気持ちになる。
年末年始、篠原の家にお泊りした際、神社へ初詣に行った。学問の神様が祀られている神社ということで、二人で参拝したあと翔太から篠原へ、受験がうまくいきますようにと学業の御守りをプレゼントした。
――翔太の気持ちが入ってるから頑張れそう。
嬉しそうに、握りしめて言っていた篠原のことだ。
それに、上位の成績をキープしている。学校の人気者で頭脳明晰。見た目はやや派手であっても、学業を疎かにしないあたり真面目だなと思う。
(……さぼったときもあったけど)
まだ、偽りの恋人を演じている頃、さぼってデートしたことを思い出す。まだ記憶に新しい出来事ではあるが、なんだか懐かしく思えて自然と笑みが零れてしまう。
ベッドで横になりながら、携帯画面を見つめた。
――Rrr
「ふぁっ」
素っ頓狂な声をあげてしまった。部屋にひとりなので、誰かに聞かれているというわけではないが、じわじわと恥ずかしさが翔太を襲ってくる。
狙ったかのように、タイミングよく篠原からの電話。ばくばくと鳴る心音をよそに、翔太は慌てて通話ボタンを押した。
「も、もしもしっ!」
『もしかして、忙しかった?』
「忙しくないです!」
『そう? なんだか、慌ててるようだけど……』
「あ、いえっ、その、携帯持った瞬間、芥さんから電話かかってきたのでそれで……」
『あー、なるほど。ごめんね、なんか驚かせちゃったみたいで』
「いいんですっ」
連絡するのを躊躇していたなんて言えない。
受験の忙しい合間を縫って、連絡してきてくれたことがとても嬉しいが大丈夫なのだろうかと不安にもなった。余計なお世話かもしれないが、翔太は「芥さんこそ、貴重な時間じゃないんですか?」と尋ねた。
『勉強、勉強ばっかりだと、煮詰まっちゃってね』
「たまには息抜きも必要ですもんね。電話、嬉しいです」
『翔太のことだから、俺に連絡するの我慢してるでしょ』
「うっ……」
篠原にはバレバレで、翔太は苦笑を漏らした。通話越しに篠原の笑い声が聞こえてくる。恥ずかしくなり、小さな声でつい「芥さんひどい」と呟いた。
『遠慮している翔太に、俺から連絡したんだ』
「ありがとうございます。……嬉しいです」
『ま、俺が翔太の声を聞きたかったってのもあるんだけど』
「それを言ったら、僕だって……」
『あー、今すぐ翔太を抱きしめたい!』
「……それは、受験が無事に終わってからで……――」
『えっ、マジで?』
「……!」
嬉しそうな篠原の声。
翔太は自分の言ったことに驚き、顔が沸騰しそうなくらいじわじわと熱くなった。口走ってしまったことに、今更取り消しはきかない。しっかりと篠原も聞いているのだ。
もし魔法が使えるのなら、数分前に戻りたい。
恥ずかしくなり、なかなか言葉が出てこないでいた。
『今、照れてるでしょ』
「もー、芥さん!」
『あはは。ごめん、ごめん。揶揄うつもりはなかったって』
「僕で遊ぶなんてひどいです」
『翔太が可愛いからつい、ね』
ああ言えば、こう言う篠原に、彼には敵わないやと思いながら「降参です」と伝えた。
翔太が口走った約束も、「受験が終わったら、その、いいですよ。……本気にしてください」と言えば、「やったー!」と大きな声が聞こえた。
(……芥さんのほうが子供っぽくて可愛いや)
ふふ、と微笑む。
電話越しではあるが、篠原の声が聞けたことに満足した。
『翔太に電話してよかった』
「勉強もほどほどに、と言いたいところですが、三日後には試験ですよね」
『うん。翔太からもらった御守り握りしめて、試験受けるよ』
「嬉しいです。僕は試験が終わった芥さんに会うのを、楽しみに待っています」
『試験終わったら真っ先に連絡する』
「はい、待ってます!」
そのあと少しだけ話をして、お互い遅い時間に対して謝りながら通話を終了した。
(……芥さん、僕の知らないところでも頑張ってたもん。大丈夫)
桜咲く三月。
制服の胸元に〝卒業おめでとうございます〟と印字されたバラのコサージュを付け、体育館で三年生の卒業式が開催された。
(……卒業かぁ)
送辞を読んでいる在校生の声を聞きながら、翔太は前方で座っている三年生を見つめていた。
卒業生入場のとき、篠原の姿をこの目で捉えた。目が合うと泣きそうになるのをぐっと堪え、翔太は微笑みながら「おめでとうございます」と声には出さず唇だけを動かした。胸元に付いているコサージュを見ると、本当に卒業するのだなと実感させられる。
「――最後に卒業生の皆さまのご健康と、さらなるご発展を心よりお祈り申し上げ、在校生代表の送辞とさせていただきます」
在校生から卒業生への送る言葉を伝えたあと、今度は卒業生からの答辞がはじまる。
明日から学校に篠原がいないと思うと、とても寂しい気持ちだ。
二月から、三年生は完全に自由登校へと切り替わった。それなのに、篠原は毎朝翔太を迎えに来てくれていた。学校へ送り届けたあとは、バイトや時間が合えば放課後も迎えに来てくれることもあった。週に一度の登校日は設けられていたので、そのときは久しぶりの制服姿にドキドキしたことは篠原に知られている。
受験の合否に関して、篠原からはまだ伝えられていない。
――気にしてるかもしれないけど、まだ言えない。
そう言われて、篠原が決めていることなら翔太も追究しなかった。
(いつか、芥さんのやりたいこと知れたらいいな)
「――皆さんのご健康とこれからの発展を願い、お別れの言葉といたします。卒業生代表……――」
篠原のことを考えていたら、いつの間にか答辞も終わっていた。
全ての進行が終わり、式典は無事に終了。卒業生が退場していく中、入場と同じように翔太は篠原の姿をジッと見つめた。
卒業生を見送り、三年生は一度教室へと戻ることになっている。
その間、在校生は式典の片づけが残っている。片づけといっても椅子の片づけだけで、その他の片づけに関しては翌日行うことになっている。片づけが終われば、三年生が昇降口から出てくるまで外で待機だ。
三年生の門出を祝うまでが在校生のお仕事。
改めて、拍手で三年生を送るのだ。
(……あ、来た)
卒業証書を丸筒に入れたのを手にして、教室から昇降口へと三年生が下りてきた。
高校生活へ別れを告げ、これから旅立つ。
外へ出てきた三年生に拍手をすれば、あとは自由時間だ。泣きながら三年生へ別れを惜しむ在校生もいれば、思い出にと写真を撮る卒業生と先生。翔太もお世話になった三年生の先輩に挨拶をしては、篠原を探した。
「いない?」
てっきり、全員下りてきたと思っていた。
しかし、篠原の姿はどこを見てもなかった。
「どこいるんだろう」
中庭にも卒業生や在校生もいたが、その中に篠原の姿はない。この様子だと校内にいるのではないだろうかと思い、翔太は校内を探しはじめた。
(どうして気づかなかったんだろう)
三年生の教室に誰ひとり残っていない。黒板には〝卒業おめでとう〟と綺麗なチョークの文字と、鮮やかな色で桜や絵が描かれていた。
(芥さんが一年間過ごした場所……)
四月になれば、篠原と同じようにこの三年生の教室で一年間過ごすことになる。
「……って、違う! 芥さん探さなきゃ」
感傷に浸っている場合ではない。
篠原が行きそうな場所はどこだろうかと考えるも思い浮かばないでいたが、屋上へ続く階段を見た瞬間、「あ」と声に出した。
「そっか……屋上……」
駆け足で階段を駆け上る。扉を開ければ、大の字で寝転がっている篠原の姿があった。
ようやく篠原の姿を見つけることができて、翔太は安堵した。
「芥さん!」
声をかければ、篠原は起き上がった。
翔太の顔を見て、ふわりと微笑む。
「捕まっちゃったな」
「捕まっちゃったな、じゃないですよ!」
「翔太なら気づいてくれるかなと思ってね」
「もー。追いかけっこじゃなくてよかったですけど」
篠原の傍に近づき、その場に座り込む。ふふ、と微笑みあったあと、翔太はお祝いの言葉を述べた。
「ご卒業、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「明日から芥さんが学校にいなくなるの、寂しくなります」
「俺だって、毎朝翔太を迎えに行ってたのに、それがなくなるなんて寂しいよ」
手を取り、篠原はマッサージするかのように揉み込む。くすぐったいですよ、と笑うもやめてくれない。
「高校生活、楽しかったですか?」
「もちろん。翔太と出会ってからは、もっと楽しくなったよ」
思い返せば、この一年で色んな思い出ができた。
つらくて、悲しい出来事もあったが、それは大団円で終わった上に幸せをもたらせた。
「翔太」
「はい」
「卒業祝いに、翔太からキスしてほしいな」
「なっ! ここ、学校ですよ」
「屋上だから誰も来ないし。大丈夫だって」
揉み込まれていた手を、ぎゅっと篠原が握りこんできた。まだ肌寒い風が頬を撫でる。表情を緩めて、翔太からのキスを待つ篠原はとても楽しそうだ。
耳を真っ赤にして、恥ずかしそうにしている翔太。
「翔太からキスしてくれないと、俺もここから動けそうにないんだけどなぁ」
「か、芥さんっ」
「ほーら。翔太からのキスがほしいな」
ハートマークが付きそうな語尾に、翔太は唇をわなわなと震わせた。篠原の言う通り、屋上にいても今まで他の生徒が来ることは見かけなかったので、大丈夫と言えば大丈夫。
だが、それとこれとは別なのだ。
「んもー。耳真っ赤にしてさ。かわいー」
「誰のせいだとおもっ――ぅん、っ」
空いている手で後頭部を引き寄せ、かぶりつくように篠原が唇を合わせてきた。押しつけてくるようなキスに、呼吸困難になるかと思い、「んー、んー」とぐぐもった声をあげる。
「っ、は……は、かい、さんっ」
「あはは。俺が我慢できなかった。真っ赤になった翔太が見れたからいいや」
悪戯が成功した小さな子供のような笑顔、まだ真っ赤な顔をしている翔太にキスを仕掛ける。何度も啄み、翔太の唇を味わうようなキス。満足したところでキスをやめると、今まで進路のことを言ってこなかった篠原が言葉にした。
「翔太のことだから、気にしてたと思うんだ」
「……はい」
「ちゃんと、大学合格したよ」
「……! おめでとうございます!」
「俺、大学行きたいけど学費のこともあるしで、翔太にいらない心配かけたくなかったんだよね」
「そんなこと……」
「でも、成績はいいほうだから前から先生に相談してて、学費をある程度免除できる大学を探してたんだ」
篠原に両親がいないことを翔太は知っている。
だからこそ、そういった面で余計な心配をかけたくなかった篠原の気持ちはわかる。ただ、ひとことくらい話をしてくれてもよかったのではないだろうかと思うも、恋人だろうと赤の他人が干渉したところで何様だと思われたくない。
恐らく、全てが終わった時点で話そうと思っていたのだろう。
「教師になりたいんだ」
「教師、ですか?」
「そう。教師。希望としては小学校のね」
思わず、小学生と戯れる篠原を想像した。
子供と一緒になる篠原を想像するだけで可愛いと思える。
「翔太、なにか想像したでしょ」
「芥さん、人気者になりそうだなって」
「そこは、〝教壇に立つ芥さんかっこいい〟って言ってほしいな」
「あえて言いませんでした」
なんて言っておいて、想像しなかったわけではない。酷いな、とくすくす笑う篠原に「かっこいいと言わせるために、頑張ってください」と笑みを零した。
まだ先の話でもあるし、そこへ辿り着くまで学ぶことがいっぱいで大変だろう。話を聞くだけで頼りないかもしれないが、翔太なりに篠原を支えることはいつだってできる。
春から翔太は最後の高校生活、篠原は大学生活がはじまる。
「翔太も受験生になるから、俺でよければ勉強は見てあげられるし、困ったことがあったら言って」
「はい。それは、芥さんもですからね」
「最後まで教えなかったこと、実は根に持ってた!?」
焦った篠原に、翔太はくすくすと笑った。
これは、翔太のちょっとした意地悪だ。
「いいえ。訊かずに勝手に気を遣ってたので根に持ってません」
「あーよかった。もちろん、勉強とバイトで忙しくしてるかもしれないけど、翔太との時間もきちんと作りたいからそのときは構って」
「無理だけはしないでください。それで、二人で過ごす時間は、なにもかも忘れてゆっくりしましょう」
「……ゆっくり過ごしていいの?」
「もー! あえて言わなかったのに、どうして芥さんはそういうこと言うんですか!」
にやにやする篠原に、翔太は頬を染めた。わかっていて言うあたり、本当に篠原は意地悪だ。
不貞腐れた翔太は、もう知りません、と言ってそっぽを向いた。
「ごめんって、翔太!」
顔の前で手を合わせる篠原は、翔太の機嫌を取るためにあることを提案してきた。
「お詫びに、最後の制服デートしよう?」
「……それって、単に芥さんがやりたいだけじゃ……」
「あ、ばれた?」
なにがお詫びに、だ。
翔太は思わず笑ってしまった。
「芥さん、勉強はできるのに、こういうことだと困った人ですね」
「翔太ひどい」
「仕返しです。でも、制服デートは僕もやりたいです」
卒業したからといって、三月末までは篠原もまだ高校生扱い。
明日以降、篠原が制服を着ることはなくても、やろうと思えばやれないこともない。だが、卒業イベントだからこそ、特別感があるのでやっておきたい。
これも、思い出のひとつだ。
「なら、今から行こう! もう卒業式も終わって自由だし」
「先生とか友達に挨拶しなくていいんですか?」
そう尋ねてみるも、篠原は「教室出る前に済ませたし」と言ってきた。ただ、後輩にも人気者である篠原だから、学校を出るまでには捕まってしまうのではないだろうか。
優しい篠原のことだ。後輩を無下にすることはできない。
少しだけ、胸がもやもやした。
「靴持って、裏門から出れば大丈夫じゃないかな」
「それでいいんですか」
「捕まりそうなときは、走って逃げればいいし。それに、翔太がちょっと嫉妬してるような気がしてさ」
「……!」
「あれ? もしかして図星だったり……」
「……図星だったらどうするんですか」
「あー、もー、可愛い!」
「うわっ!」
腕を引かれて思いきり抱き締められた。耳元で何度も「可愛い」と囁かれる。それがくすぐったくて、翔太は腕の中で身じろいだ。
「せっかく翔太と一緒にいるのに、寂しい思いはさせないよ」
「芥さん……」
「あ、制服えっち納めもしなくちゃ」
距離を取って笑顔で発言した篠原に、翔太は再び顔を真っ赤にしたのは言うまでもない。制服納めしなくてもいつでもやろうと思えばやれるか、と続けて篠原は言うが、それはもうただの変態ではないだろうか。そんなことを言えば、篠原からの与えられる愛が色んな意味で甘くて苦しいものになるので、胸の内に秘めておいた。
「さてと、行こうか」
「はい。制服デート、久しぶりなので楽しみですね」
「俺だって。はい、翔太」
篠原が手を差し出してくる。その手を翔太は取り、指を絡めて恋人繋ぎへと変えた。こうやって、手を繋ぐことが二人の中で定番となっているが、卒業したあともそれは続くだろう。
翔太はそう思っている。
「翔太。俺、翔太の手を離すつもりないから」
「! はいっ」
翔太の思いを悟ったのか、篠原が振り返り笑顔で言葉にした。
なにか人の心を読む能力でも備わっているのだろうかと思いながら、翔太は微笑んだ。
手を繋いだまま、屋上をあとにする二人。
卒業は寂しい気持ちにもさせてしまうけれども、未来に向けて前に進む一歩でもある。
この先のことなんて想像はできないが、篠原の言うように、翔太も何年経っても離すことはないだろうなと思いながら、目の前にある広い背中を見つめた。
終わり
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