第一話

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第一話

 翔太は好きな先輩のために、期限つきの恋人役となった。  それは、高校二年生に進級したのと同時に起こった。  翔太こと柳原翔太は、同じく三年生に進級した篠原芥に告白されたのだ。 「――このクラスに、柳原翔太くんいる?」 「え? ……それ、僕のことですけど……なにか僕に用ですか?」 「よかった! あのさ、お願いがあるんだ!」 「へ?」  始業式の日、ホームルームが終わり、教科書などを鞄に詰め込んでいるときに名前を呼ばれた。教室の入り口を見れば、翔太からすれば見知った先輩が立っていた。  先輩――篠原とは、翔太が一年生のときに、入学式案内で一目惚れした相手だ。  翔太は、物心ついたときから恋愛対象が男だ。  特に、幼稚園のとき「〇〇ちゃんが好き」という会話には、「僕は〇〇くんが好き」と発言して、周囲からおかしい存在として扱われていた。  そのことを、一度だけ両親に「〇〇くんが好きなのはいけないことなの?」と訊いたことがあった。すると、両親は顔を真っ青にして、「その好きはいけないことなのよ」と言われてきた。  年齢を重ねていくうちに、どうしても自分が好きだと思う人物が同性へとスポットが当たるとき、改めて自分の嗜好に気づいた。  それが中学生のときだ。  中学生になると思春期を迎える。  そこで、自分が思っていることを、インターネットを使って調べた結果、ゲイなのだと自覚させられた。  しかし、翔太は見た目、整っている顔をしているわけではなく普通。ショートの黒髪に幼さが残る童顔、健康的な肌に体型は標準だ。また、特に秀でた部分があるわけでもなかった。授業のテストで平均点は取っても、優秀というわけでもないし、体育のスポーツも万能ではない。  だから、中学時代の部活動は運動部ではなく文化部だ。  それは、高校になっても同じだった。  高校生になったからといって、羽目を外すこともしなかった。浮かれて髪を染めることも、ピアスをすることも、そんなことには一切興味がなかった。  それよりも、自分を好きになってくれる人が見つかるといいなと、思うばかりだった。  高校は男子校を受験した。自分がゲイだからという理由で男子校を選んだわけではないが、心のどこかでは「いい人がいればいいな」と少しばかり下心があった。  ただ、好きな人ができたとしても、翔太は今までもその想いを隠し続けてきた。幼い頃、両親が言っていた通り、この想いは「いけないこと」なのだから。  ひたすら周囲にばれないよう、静かに過ごしてきた。  下手に告白なんてできないのだから――。  それなのに、高校二年生になって、この状況はなんだろうか。 「な、なんですか?」 「こんなこと頼むの、どうかと思ったんだけど……その……」 「……?」  歯切れの悪い篠原に、翔太は不思議そうな顔で見つめた。  その裏では、心臓がバクバクと煩く鳴っている。  篠原は、一年前の入学式案内のことなんて忘れているかもしれないが、翔太はずっと覚えていた。  一目惚れした相手なのだ。  その篠原のためなら、なんだって協力したい。 「その……」 「そんなに言いにくいことなんですか?」 「あー……」 「はっきり言ってくれていいですよ?」  篠原を落ちつかせるように、優しく声をかければ、言う決意をしたのか、握り拳を作り、口を開いた。 「あのさ……君には悪いんだけど、……一週間……一週間だけ! 俺の恋人になってくれないかな!?」  ――この人は、今なにを言い出した?  瞬きもせず、間抜けなほど口を開いたまま、篠原を凝視してしまった。 「……えっと、あの……はい?」  失礼な言い方をしているのは確かだが、篠原の言葉が本当に確かなのか、もう一度聞きたかった。 「だから、一週間だけ俺の恋人になってほしいんだけど……嫌だよね……」  言われたことを脳内で咀嚼して、ようやく理解した頃には、目の前にいた篠原は困った笑みを浮かべていた。  ミルクティ色の髪に、目尻は少し垂れているが綺麗な顔立ちをしていて、細身で身長も高い篠原。一見、不真面目で遊んでそうなイメージが付きそうだが、成績は上位寄りで学校の人気者かつ人懐っこい性格をしていると言われている。そんな篠原を好きな翔太は、一週間だろうと、それ以上だろうと、篠原からお願いされたことに嬉しさを感じていた。  あとでつらくなるのは、翔太自身だというのに。  またとないチャンスに、翔太は思いきり頭を振った。 「い、いえ! 僕でいいなら、その、協力させてください!」  篠原の手を取り、グイッと顔を近づけた。距離が近くなることで、心臓の高鳴りは一層ひどくなる。  そんな中、協力する、と言った翔太の言葉が嬉しかったのか、篠原は翔太の身体を抱きしめた。 (わわわっ……!)  両親以外で人に抱きつかれたことがなく、ましてや好きな人からの抱擁というのもあり、翔太は抱きしめられた拍子で身体を硬直させた。  そんな翔太に、耳元で笑う篠原の声がくすぐったい。  数分ほど抱きしめられ、身体を離された。 「……これから、翔太って呼んでもいい?」 「は、はい! どんな呼び方でもいいですよ」 「ありがとう。なら、翔太で。俺のことも、芥って呼んでいいからね」 「そ、そんなっ! 呼び捨てなんてできないですっ」 「えー、一応期間限定だろうと、恋人同士なんだからさ」 「か、芥さん、じゃ駄目ですか?」  はじめて呼ぶ名前に照れくさくて、篠原に向かって「芥さん」と呼んでみれば、篠原は「それで我慢してあげる」と笑って許してくれた。  はじめは「芥先輩」のほうがいいのだろうかとも思ったが、せっかくのチャンスなのだ。一週間後には元の生活に戻ってしまうことを考えてしまうと、言うのは恥ずかしくても「芥さん」と言いたかった。  だって、「先輩」よりも「さん」付けのほうが特別に思えたのだ。  一連のやり取りを終えて安堵したのか、身体の力が抜けた翔太はその場に座り込んでしまった。安堵するのはお願いしてきた篠原のはずなのに、翔太は呆気ない表情をして驚いていた。  はは、と笑った篠原は、翔太の前にしゃがみ込み、「今日からよろしくな」と言って、頬に軽くキスをしてきた。 「今日から、というよりも、本当は来週の月曜日から一週間なんだけどね」 「そうなんですか?」 「今日は金曜日だから、週明けの月曜からのほうがやりやすいだろ? だから今日は予行練習としてどうかな? 放課後デートでも」 「……!」  ホームルームは終わっていて、あとは帰るだけなのだ。 「だめ?」 「だ、だめじゃないです! ただ、鞄を教室に置いてきちゃって……」 「俺もだから。昇降口で待ち合わせしよう」 「はい!」  そう言って、お互いに鞄を取りに教室へと向かった。  教室へ向かいながら、どうして篠原が一週間限定の恋人を作ったのだろうかと、今更ながら気になってしまった。  男子校なのもあり、中には自分と同じ嗜好の人間もいるだろう。  言い寄られて、それが嫌でわざわざ試しに期間限定で恋人を作ったのか。それとも、しつこい人がいて諦めさせるためにわざと恋人を作ることで見せつけようとしているのか――などと、思考を巡らせた。  教室から鞄を手にした翔太は、篠原に言われた通り、待ち合わせをした昇降口へと向かった。入り口では、すでに靴を履いて待っている篠原がいた。三年の教室のほうが二年の教室より距離があるはずなのにと思いながら、翔太は靴に履き替えて「お待たせしました」と声をかけた。 「待ってないよ。俺も、さっき来たところ」 「そ、そうですか」 「うん」  じゃあ帰ろうか、と言う篠原の言葉に翔太は頷き、肩を並べて学校の正門を抜けた。  期間限定だといえど、こんなときが来るなんて思いもしなかった。  だって、これは所謂、放課後デートではないか。 「あの」 「ん?」 「言いたくないならいいんですけど……その、先輩は……この学校に好きな人がいるんですか?」 「こーら。先輩じゃなくて〝芥さん〟だろ」 「あっ……だって、まだ慣れなくて……」  恥ずかしくなり、照れながら「芥さん」と名前を口にすると、先程の質問に答えてくれた。 「翔太の質問だけど……俺、一年前から好きな子がいるんだ」 「……ここ、男子校ですよ?」  そう――間違いなく、この学校は男子校だ。  しかも、地域内にある男子校の中でも、一番生徒数が多い。 「それでも、好きになってしまったものはどうしようもないからさ」 「そういうものなんですか?」 「翔太は? 翔太は好きな子いないの?」  篠原に尋ねられ、翔太はどう答えればいいのか黙ってしまった。  恋人はいない。  でも、好きな人はいる。  ――それも、目の前に。 「……います、よ。さっき、芥さんに〝ここ男子校ですよ〟って言いましたけど……芥さんと同じで、好きな人が……います」 「翔太もなんだね! ね、ね、誰? ……って、いきなりすぎたか。ははっ」 「い、いえ。……僕、一目惚れなんです。入学したときから」 「ん~……ってことは、俺と同じ一年くらい片想いしてるよね?」 「そう、ですね。ただ、情けないことに、僕は遠くで見ていることしかできません」  どうあがいても、先輩と後輩。  特別なことがない限り、接点すら持てない。  ――はずだった。今日までは。 「同級生?」 「いえ、その……三年生です」 「俺と同じ三年かー。どんな人だろう、翔太の好きな子って」 「どう、でしょうね」  どんな人、と言われても「芥さんです」なんて言えない。  特に今は言えない――と、翔太の心は少しだけチクリと針が刺さった。 「せ、先ぱ――……芥さんは、その人のことが好きなんですか? どうしようもないくらいに」 「んー、そうだね。ここまでお願いしているから嘘はつきたくないけど、……うん、俺、その子がとても好きで仕方がないんだ」 「……っ」 「俺としては、早く手に入れたいんだけどね」  どんな人を思い浮かべながら、話をしているのだろうか。  篠原の好きな人の存在が気になってしまう。どんな人なのかすら、勇気が出ずに聞けないでいる。 「俺の好きな子はね、ひとつ下なんだ。だから、翔太と同級生」  俺と逆だな、と笑う篠原に、翔太は思わず少しの期待を抱いてしまった。  自意識過剰と思われたっていい。  同学年ということであれば、翔太にも少なからずチャンスはある。  心の中で、翔太は神様に向けて「少しだけでも、自分も対象でありますように」と願った。 「告白しようと思うんだけど、なかなかできなくて」 「芥さん……。僕も一緒です。でも、芥さんみたいに告白しようというより、勇気がなくて告白することすらできないです」 「そっか。男相手に勇気いるもんね。相手もどう想っているかわからないし」 「……ですね。それでも、芥さんは僕にお願いしてきたじゃないですか」 「心臓ばくばく破裂しそうだったんだけどね。あれでも、いっぱい、いっぱいだったんだよ」 「そうだったんですか」 「うん」  これ以上、話を続けることができなかった。  空気が少しだけ重くなり、お互いの間に沈黙が流れる。 「――話、長くなってしまったね」 「い、いえ!」 「ねえ、翔太」 「は、はい」 「手、出して」 「……へ? 手、ですか?」  言われるがまま翔太が手を差しだせば、その手を篠原が掴んだ。  早い話、篠原と手を繋いでいる。 「か、か、芥さん!?」 「翔太の手、温かいね」 「そ、そういう問題じゃないです! ここ、外ですよ!」  突然のことに驚き、心臓の激しい心拍数の音が篠原に伝わってしまうのではないだろうかと、ドキドキが止まらないでいた。  反面、驚きと混乱している心の片隅で、嬉し翔太自身がいることも確かだ。  しかし、この状況をいったいどうすればいいのだろうか。 「大丈夫。人が来たら離すから」 「え、え、あ、あのっ」  色々と混乱して、脳内は爆発寸前だ。  放課後デートといっても、お互い家の方向は違うだろうし、もしかしたら駅までかもしれない。 「翔太は電車通学?」 「いえ、学校から歩いて三十分ほどです」 「へえ、そうなんだ」 「芥さんは?」 「俺? 俺は、隣町だよ」 「それなら……!」 「せっかくなんだから、翔太を家まで送らせて?」  放課後デートなんだから、と微笑む篠原を見て、翔太はなにも言えなくなった。  予行練習とはいえど、ここまでしてくれるとは思ってもみなかった。手を握られている状況と同じで、嬉しさと驚きが混ざり合い、変に断る理由もなかった。  むしろ、嬉しくて今にも幸せだ。  心音を煩く響かせながら、繋がっている手に視線を移す。  今まで先輩である篠原と話をする機会すらないと思っていたのに、神様の悪戯なのか、それとも夢なのか、期間限定つきではあるが「恋人になってほしい」と言われたときは本当に驚いた。  いったい、自分の身になにが起こっているのだろうかと疑うほどだ。  問題があるとすれば、翔太は篠原のことが好きだけれども、篠原は翔太と同学年の子が好きだと言っていた。一方通行の想いが宙に浮いたままになりそうな予感がして、それだけが少しばかり切なかった。  それでも、好きな篠原のためであれば、少しでも協力したい。  報われない恋だとわかっていようと、篠原のために頑張りたいと思ってしまった。 「翔太、次どっち?」 「あ、こっちです」  手を繋いだまま、篠原に家までの道のりを案内する。  人の気配がすれば、約束通り繋がれた手は離された。逆に、気配がなくなれば、篠原はさも当たり前のように翔太の手を繋ぐ。  そうして、翔太の家に着く頃には、お互いの手は繋がれたままでいた。 「ここで大丈夫ですよ。ありがとうございます、芥さん」 「これも彼氏の務めだからね!」 「もう、芥さんったら」  家の前で笑い合いながら、翔太は篠原を見上げた。  翔太を見つめる篠原の表情は、とても優しい顔をしていた。 「来週の月曜日から、一週間よろしく」 「はい」  返事をすれば、優しく頭を撫でられた。  何度も頭を撫でてくるかと思えば、気づけば篠原の顔が近づき頬に柔らかいものが当たった。 「――えっ」 「ごちそうさま」  翔太の頬を指でさし、意地悪そうに篠原が笑った。  瞬間、ようやくなにが起こったのか理解し、翔太は顔と耳を真っ赤に染めた。手を繋ぐことさえも恥ずかしいというのに、家の前で、ましてや外で頬にキスをされたことに、翔太は両頬を包みこみ、魚が餌を求めるかのように口をぱくぱくさせた。 「じゃあね、翔太」  再び頭を撫でられて、篠原は嬉しそうに背中を向けて去っていった。そんな篠原を、翔太は真っ赤にしたままの状態で見送ることしかできなかった。  本当は、どうして恋人になってほしいのかなど、訊きたいことはたくさんあったのに、そのことすらもう頭から抜けていた。  予行練習として放課後デートを篠原とできたのは、とても幸せな時間であった。  これだと、月曜日からどうなってしまうのだろうかと、篠原の背中が見えなくなるまで、翔太はキスをされた頬を押さえたまま家の前で立ちつくした。
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