象牙の腕輪

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象牙の腕輪

かの大陸民族は、百という数を、大層神聖なものだと考えている、と聞いたことがある。「ユニオン・ジャックが香港島に翻るのを、百年間お許し願いたい」との慇懃無礼に、「百年は長すぎます」と答え、「では九十九年ならどうですか」との提案には快く承諾した。 その条約の終結が、歴史的にはもうそこまで来ていた1987年、香港人にとってさえ、まだまだ返還は他人事だったある朝、「エレン・トンプソンが今朝、九十九才で亡くなった」と、香港人のジーン・マオが電話をくれた。エレン・王・トンプソンは、東南アジアで金に物言わせて、したたかに生き抜いてきた華僑の一族で、なるほど亡くなる年齢にもご先祖への謙譲が表れているのだな、と、私は思った。 夫の赴任でフィリピンへ来た1983年、私が木曜の午後のブリッジで初めてエレン・トンプソンに会った時、彼女はすでにぱんぱんに膨れ返った超高齢の婦人で、朝起きて歯を磨きながら、今日は何をして遊ぼうか、と考える以外には、悩みなく憂いなき未亡人人生を、もう何十年も送っていた。     
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