喫女

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 それもこれも――、 《どうにかして彼女との距離を縮めたいがためだ》  一瞬、彼女と目が合った。 「うれしいわ」  ……? 「そんなに思っててくださったなんて」  あたりを見わたす。  あいにく女性は彼女をふくめてこの場に4人。  この声質に合いそうな風体はひとりだけ。  もちろん彼女だ。 「おとなり、よろしいかしら」  まちがいない。  彼女はまっすぐこちらを見ている。  ただ奇妙なことに、声はするのにその口もとはぴくりとも動いていない。  彼女は音もなくとなりにやってくると、おどろくほど身体を密着させて黒目がちな瞳で見つめてきた。  一応、まわりの目を気にしてはみたが、みんな煙をぱくぱくたしなむのに夢中で、よそさまのことなどてんでおかまいなしの様子だ。 「ごめんなさい。あたしったらホント、うっかりしちゃってて」黒く長い髪を指先でくるりともてあそぶ。「ここにいればきっと運命の人に出会えるはずだと思って、いつもこうして待ってたんです。だけど、どなたもあたしになんか気づいてくれなかった」 「そんなことない。ぼくはずっと見てました」 「うれしいわ」笑顔こそなかったが、彼女の声ははずんだ。「あたし、いつかあなたみたいな方と旅をしたいと思ってたんです」 「旅、ですか」 「いやだ、あたしったら、見ず知らずの方にいきなりこんなこと。どうぞお忘れになって」 「いえいえ、旅、いいじゃないですか。ぼくみたいなもんでよかったら、ぜひ、ぜひ、ご一緒したいもんですな」 「うれしい」彼女はそっと手をかさねてきた。  その冷たさに思わず身がすくむ。 「来月あたり、いかがかしら」 「え、来月? 旅行をですか」あわてて手帳をとり出す。「予定を確認してみないと――」 「予定はあたしが決めます」 「はあ。……は?」 「きっとまたお会いしましょうね。約束よ」彼女はその冷たい手で背中をさらりと触れてくる。  瞬時に身が縮こまる。  はずみでうっかり深く呼吸してしまい、よどんだ煙にむせかえる。  ひとしきり咳き込んでから顔をあげる。  彼女の姿はなかった。  数日後、健康診断の結果をうけとる。  すぐに精密検査を要する、という項目に、いつかどこかで感じたような、身の縮こまる心持ちにおそわれる。  指定された大きな病院へおもむき、しかるべき科へと案内される。  診察室のおもてのソファに身を沈める。
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