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暑い暑い夏の夕暮れにはいつも思い出す風景がある。
日中鳴き喚く蝉が黙り始め、遠く道前平野の向こうに夕日が落ちていこうとする。
ここは神社。小高い山の中腹。赤く照らされた美しい松川城。宗一郎は夕方になると、よくこの神社の境内で時を過ごした。
さくらの優しい母親がいた。さくらはまだよちよち歩きで、可愛らしい服にふわふわの栗色の髪。
翼はまだ幼稚園児。やんちゃだけど泣き虫で、買ってもらった携帯ゲームがうまく操作出来ないと言って癇癪を起こして。
それを貸してみろよと横からとって、字を読んでルールを教えてやるのが隆行だった。宗一郎より1歳年上。背が高くてサッカーが上手くて、ゲームも強くて人気者で。
宗一郎にもとても優しかった隆行。さくらが今宗一郎をそう呼ぶように、宗一郎は隆行を『お兄ちゃん』と呼んだ。同じ道前の商店街で、じゃれ合って転げ合って、二人はまるで兄弟のようにして育ってきた。ひとりっ子の宗一郎の大切な兄。一体どこに行ってしまったのか。
隆行がいなくなって、今年でもう16年になる。宗一郎は椿が遺した言葉を思い出す。
『隆行は松川のために消えた男だ』
『いずれお前は隆行の居所を見つける日が来るのかも知れない』
『ヒントを出すなら、あの年の春に起きた小さな地震と湯の濁りだ』
椿は隆行が『消えた』と言った。そして『居所』という言葉。
隆行は死んでいない。どこかにいるのだ。宗一郎は確信している。周囲は皆、母親さえその存在を忘れてしまった隆行……『お兄ちゃん』。
――お兄ちゃんは今、一体どこにいるのだろう……。
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