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「お客が全然来ない訳よ。お兄ちゃん、お店潰れない? 大丈夫? 街自体に人がいないわ。これで断水なんて事になったら、道前温泉全体が一気に共倒れしちゃったりして……」
やださくらちゃん、縁起でもないっ、と菜々子が慌てる。いずれ自分が関わる事になるこの温泉街の旅館業。そこに大量の水が必要である事は、誰にでも容易に想像がつく。
宗一郎はにじむ汗を手の甲で拭うと、ため息まじりに言った。
「まあ……とにかく雨に降ってもらわない事には、どうにもならないな。もう1ヶ月以上まともな雨が降ってない。そりゃあ高校生がビールを欲しがっても、誰も責められない……」
「そーよっ! あ、ビールもいいけどお兄ちゃん、蜜柑にガリガリ君食べさせてあげて。ソーダ味に目覚めたらしいの。私もガリガリ君にしよ。バニラばっかり食べてたら太るし」
「あら蜜柑ちゃん、お着替えしたんだ。夏らしい青のミニワンピ。可愛い! 髪の毛もポニーテール。まるでアイドルみたい」
「そ、そうなの。お兄さんにお着替えさせてもらったの。可愛いかな。……翼くんも、可愛いと思うと思う?」
「思うわよー。テレビのアイドルよりずっと可愛いもの。ほら、アイス食べておいでよ。ガリガリ君、箱で買っておいたから」
「ありがとうお姉さん。お、お姉ちゃん待って。やっぱりこっちの服にして良かった。赤と悩んだけど、こっちの青にして良かった……!」
店の裏でアイスに幽体化の術をかけながら、宗一郎はつい2ヶ月前を思う。宗一郎は一人でこの店に立って、疲労と心細さで疲れ切っていたのに。
今ではこんなにかしましい従業員達が自分を支えてくれる。休みも取れるし夜も眠れる。とてもありがたい事だ。だからこそ、宗一郎は探さねばならない。
強い式神である蜜柑が言った、『水を止めているもの』。それが雨を降らせない。松川から水を遠ざけているのだという。
松川市民は疲弊している。10数年前にもあった渇水。あの苦労を思い出し、またこの暑さにもやられ、皆が雨を熱望している。
――そして今日も手元においている、小さく綺麗な赤い鞠。
この中に眠っている宗一郎の大事な式神は、乾きを恐れていつまでも目を覚まそうとしないのだから。
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