きになるあのひと

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「もう、ずいぶん昔のことだが、私はその河のそばで野営をしていたんだ。真夜中、満月だった。川面が一面に泡だって、不思議な姿をしたものがいくつもいくつも、水中から姿を現した。手足のように見えるものが生えているのは人か獣のようだったが、手足も身体も頭も、骨や肉が詰まっているようには見えなかった。身体はどこも、節くれだった枝と生い茂る葉でできていて、非対称でいびつで隙間だらけだった。でも、草木が水中から突然生えてきたとはやはり思えなかった。それは歩いていた。前かがみで、人間にしては長すぎる腕と短すぎる脚を前後に振って、そうだ、人というよりは猿にちかい様子で、のっしのっしと歩いて、河の中からつぎつぎと這い上がってきたんだ。完全に陸地に上がった姿を見ると、それはとてつもない大きさだった。何百年もの樹齢の樫の木のような巨大さだ。それがいくつもいくつも河から出てきて、ひどくゆっくりとした動きで、四方八方に歩いていくんだ。不思議と足音はたたなかった。よく見ると、足は地面とつながったままなんだな、まるで根が生えているみたいに。私は馬に鞍を乗せて荷物を積んで、大急ぎでそのあとを追ったよ。ゆっくりといっても途方も無い巨大さだ。一歩一歩がどんな生き物とも比べられないような歩幅なんだ。馬がなければとても追いつけなかっただろう。どれほどの距離を走ったかわからない。何昼夜も追った。私も馬もへとへとになって、もうとても追い続けられないと思ったころ、ある平原で、巨人は足を止めた。そこには一本の木が生えていた。ちょうどここにあるような、若い樫の木だったと思う。とにかく、樫の木のように見える植物だった。ちょうど花が咲いていたよ。若草色の、羽毛のような花がね。巨人はその木の傍で立ち止まると、ゆっくりと身をかがめていった。そして花の一つに顔を近づけ、じっとうごかなくなった。まるで花にくちづけしてるようだと思ったよ。     
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