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そうして用心深く川を横断する支度を整えていた私の耳に、草の根をかき分ける音が届いた。反射的に動きを止めて、息を潜める。
最初に浮かんだのは、熊だろうか、という考えだ。人の足が遠のく山の中、一番に思い浮かべるのは野生の動物の存在であるのは自然なことだろうと思う。
熊だったらどうしよう。ここに留まっているよりも、走って逃げた方が良いのだろうか。
迷っている内にさらに気配は近づいてきたのか、草をかき分ける音以外のものが聞こえてきた。地面を踏みしめる迷いなく進む足取りと、浅く乱れた呼吸音、なにより小さく発せられた「くそっ、重いな」という声に人間の男であることが分かった。
そうなるとまた事情は異なってくる。次に思い浮かべたのは、怒られる、ということだった。
生徒間で立ち入り禁止にされているだけとはいえ、人の手が入っていない山に子どもが一人で登山なんて普通は許されない。聞こえてきたのは大人の男の声だったから、見つかれば学校なり家なりに連絡されてしまうと思った。
じっと息を潜めてその男が通り過ぎるまでやり過ごそう、それが賢い選択だと考えて身じろぎ一つせず岩陰に隠れた。この場所にいたのは運が良い。どうやら男が登ってきているのは岩の裏側、少し離れた場所のようで膝を抱えて潜めていれば見つかりそうになかった。
唐突に、鈍い音が響いた。何か大きなものを地面に落としたような音だ。
「あっ……あ~あ、もう」
次いで苛立たしげな男の声。おじさんと呼ぶには若い声だな、と思った。
「なんたってオレがこんなさぁ」
ぶさくさと文句を垂れながらも、合間に「よっっと」と荷物を抱え直しているような声が聞こえる。しっかりと膝を抱え息を潜めていた私は、そこでふと、何を抱えているのだろう、と思ってしまった。
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