あの人

4/6
前へ
/6ページ
次へ
〈1998年/日記〉  震えた手で書いたような、あまり綺麗とは言えない、でもしっかりと書かれた文字。  きっとあの人は、もういないのだろう。  いや、本当はずっと前から、もういなかったのかもしれない。  なんとなく、そんな気がしていた。  だから僕は、あの人と目を合わせないようにしていたのだ。  目を合わせてはいけないと思っていたから。  きっとあの人も、あの家が好きだったのだろう。  自分はもういないのだと、解っていたのかもしれない。  でも離れたくなかったのかもしれない。  いや、誰かが迎えに来てくれるのを、待っていたのかもしれない。  それはもう、僕の憶測でしかないけれど……  瓦礫から庭が少し見えて、部屋のあった場所はなんとなく分かった。  あの人がいつもいた部屋。  もうテーブルも椅子も無いけれど、あの人はずっとここにいた。  この部屋が好きだったのか、それともあの日記があったからこの部屋にいたのか。  気が付くと僕は、部屋のあった場所に立っていた。  瓦礫を踏む音が静かに広がる。  歩けそうな場所を探しながら、辺りを見回す。  すると奥の瓦礫の隙間で、何かが揺れているのが見えた。  なんとなく気になって、ゆっくりとそこへ近付いてみる。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加