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第一話 まほろばの温泉郷
ガタンという列車の振動で、菊池あさひは目が覚めた。
ぼんやりと目をしばたきながら、ダウンコートのポケットからスマホを取り出す。ストラップに付けた鈴が鳴った。
まだ二十時前だった。最寄りのJR土沢駅から釜石線に乗ってから、二十分も経っていない。
乗客はあさひのほかにはふたりだけ。これから夜勤なのか、それとも盛岡方面に帰るのか、中年の男性と女性がひとりずつ、離れて座っている。
土沢駅は宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の始発駅のモデルとなった場所だと言われているため、夏は観光客も訪れるが、真冬のこの時期にはほとんど見かけない。
車窓を流れ去る空には、薄く霧がかかり始めていた。
『予定どおり八時半くらいに盛岡に到着するよー♪』
SNSのメッセージで、親友の小夜子に報告を入れる。
返事はすぐに返ってきた。
『了解!』
『仕事が終わったら駅まで迎えに行くから、お茶でも飲んで待ってて』
『なんか美味しいものでも食べようね』
ありがとうと返信して再び車窓に目を向けた。
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