527人が本棚に入れています
本棚に追加
軽いパニックになっていたあさひは、このときになってようやく気付いたのだ。
毎日のように通勤でも使って、なじみがあったはずの釜石線。その路線に、「まほろば温泉駅」なんて名前の駅なんてない、ということに。
改札口はがらんとしていて無人だった。
途方に暮れたまま、とぼとぼと改札を通り抜ける。
振り仰ぐと、改札の真上には時刻表が掲示されていた。
けれどそこには、
まほろば温泉駅 時刻表
下り 現世(うつしよ)行き 随時
上り 幽世(かくりよ)行き 随時
とあるだけだ。
列車の到着予定時刻もなければ、発車予定時刻もない。
(……ここ、どこ?)
改札口の先は、待合室になっていた。
壁は埃で汚れ、黄ばんで破れかけた飲み物や薬のポスターが画鋲で貼られている。
ペンキの剥げかけた木製のベンチが四基、鼠色のコンクリートの床に、ロの字の形に並べられていた。
その真ん中にでんと鎮座しているのは、薪ストーブだった。小窓の中には、ちらちらと踊る橙色の炎が見える。そのおかげで、ほのかな温かさが室内を満たしていた。
ストーブの上には大きなやかんが置かれ、湯気がしゅんしゅんと吐き出されている。
最初のコメントを投稿しよう!