第一話 まほろばの温泉郷

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 軽いパニックになっていたあさひは、このときになってようやく気付いたのだ。  毎日のように通勤でも使って、なじみがあったはずの釜石線。その路線に、「まほろば温泉駅」なんて名前の駅なんてない、ということに。    改札口はがらんとしていて無人だった。  途方に暮れたまま、とぼとぼと改札を通り抜ける。  振り仰ぐと、改札の真上には時刻表が掲示されていた。  けれどそこには、     まほろば温泉駅 時刻表     下り 現世(うつしよ)行き 随時      上り 幽世(かくりよ)行き 随時    とあるだけだ。  列車の到着予定時刻もなければ、発車予定時刻もない。  (……ここ、どこ?)  改札口の先は、待合室になっていた。  壁は埃で汚れ、黄ばんで破れかけた飲み物や薬のポスターが画鋲で貼られている。 ペンキの剥げかけた木製のベンチが四基、鼠色のコンクリートの床に、ロの字の形に並べられていた。  その真ん中にでんと鎮座しているのは、薪ストーブだった。小窓の中には、ちらちらと踊る橙色の炎が見える。そのおかげで、ほのかな温かさが室内を満たしていた。  ストーブの上には大きなやかんが置かれ、湯気がしゅんしゅんと吐き出されている。     
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