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「もちろんよ。だけど、あの子はダメね。ちっとも人の言うことをきかないんだから。綾にはね、昔っから、ひとつのものに、のめり込む傾向があるのよ」
「……ひとつのもの?」
「そう。たとえば、幼稚園のころのトレーナーね。それがまた、ダサいネコの絵のついたトレーナーでね。色も胃もたれするような、へんなピンクで。なのに、綾はそれを気に入っていたのよね。
わたしは、もっとオシャレな服をたくさん買ってあげたのに。あの子ったら、それをバーゲン品の中で見つけてきて、『ほしい』って、うるさいから。しかたなく買ってあげたら、また、そればっかり着るのよ」
「……はぁ」
母親はまたマグカップを持ちあげて、一口コーヒーを口にふくんだ。
「最後には、こっちが業を煮やして、ゴミの日に出したわよ」
「捨てたんですかっ!? 」
「だって、そうしないと、ほかの服を着てくれないんだもの」
「綾は……泣かなかったですか?」
「泣いたわよ。それも、あんまりしつこく泣くもんだから、『泣くのやめなさい!』って怒ったんだけど。それでもまだ、泣くのをやめないの。ホント、あの子には、あきれ果てたわ」
こういうのを「次元がちがう」って言うんだろうか?
頭の理解が追いつかない。
「捨てた」?「子どもが大事にしているもの」を?
「あの子は、昔っから本当に、手のかかる子でね。なにをやらせても、一度でうまくできないの。もちろん、我が子なんだから、かわいいところもたくさんあるのよ。でもね、あの子に、あなたはもったいないんじゃないかしら。
葉児君は、女の子にモテるんでしょうし、頭もいいんでしょうから、もっと価値のある、すぐれた子が見つかるわ。こんな若い時期から妥協したら、のこりの人生を捨てたようなものよ」
なんだろう。寒い……。
オレをつきはなしたときの、綾の冷たさに似ている。
綾は、「大事なものが、ある日、とつぜんなくなる」ことを知っている。
ガチャッと、玄関の方で音がした。
「ただいま~」
のんきな綾の声が、リビングに入ってくる。
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