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「何だ、もう落とすのか。まだ写真も撮ってないぞ」
「そうよ、折角似合っているのに。もうこのままタクシーで帰っちゃえば?」
今度は意地悪そうに微笑む。
「いや、それはちょっと」
「ふふ、解ってるわよ。はい、これクレンジングシート。これで拭いたら落ちるから」
「ありがとうございます」
私が席を立とうとすると、マスターが唐突にシャッターを切る。
「何処に持っていたんですか、デジカメなんて!」
「この仕事、何が起こるか解らないからなぁ」
「じゃあ、私も」
彼女は彼女で携帯カメラだ。私にはなす術もなく、数分間、フラッシュの嵐は続いた。それが漸く収まった頃、私は席を立つことを許され、トイレへ向かった。
男女共同の個室トイレ。中は美しく飾られ、ロマンティックにキャンドルが灯されている。天井まである大きな鏡には、黄昏のような淡い闇と、私のようで私ではない、女でも男でもない、誰かが映っていた。
――綺麗なモンじゃないか。
マスターの言葉が、脳裏をよぎった。あれはお世辞ではなかったのだと、しみじみと思った。
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