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ある殺風景な部屋で本の修理作業に勤しむ初老の男がいた。
電子媒体が一般的になったこのご時世、紙でできた本などほとんどの人間が目にしないが、それを綺麗にするのが彼の仕事だったので男は黙々と作業に勤しむ。
その部屋は白を基調として作られており、ソファ、机、椅子、擦りガラスで仕切られた先にトイレとシャワーとベッドがあるだけの簡素な部屋だった。極力スペースをとれるように家具はほぼ埋め込み式である。磁力式の家具と扉は動かさない限り、壁や地面との継ぎ目を感じさせない。机に表示されている電子パネル操作をすれば、単調な白色から一気に南国のバカンスにすることもできる仕様だった。
そんな多彩で高機能な部屋にいる男は、机に表示されている時計を見て、ため息を吐いた。
(もうすぐ仕事が終わってしまう…)
男はもう定年を過ぎた歳だが、勤めていた会社で再び働いていた。というのも、彼は現役の頃仕事一筋で、率直に言えば家族を顧みていたとは言いにくい生活だった。その報いを受けたのか、定年後、彼は家庭の中で針のむしろだった。
家族の話に加わろうとしても、タイミングが合わず場をしらけさせてしまう。
今まで父親が居ない日常に慣れた子どもたちは、それぞれ独立して実家に寄り付きもしなくなった。
妻と二人の生活は会話が無く、自分の家だというのに居場所も無い。結婚した当時「気が合う女性だ。この人となら長くやれる」と思っていたのが信じられないほどだ。
結局、たまに喋ることと言えば小言ばかりの妻に嫌気が差して、勤めていた会社に頼んで泊まり込みの仕事をしていた。それも、今日までだ。引退した男にクリエイティブな仕事が与えられるわけもなく、無理やりもらった仕事は大昔に会社が発行した本の修繕だった。会社で保管してある蔵書が自動で壁から出てくるので、破損した部分が無いか確認し、破れたり汚れていたりする箇所があればテープや糊で修復する仕事だ。保存状態がいいので、ほとんど確認して本をまた壁にしまうばかりだっだ。
単調で退屈な仕事だが、一挙一動に文句を言われるわけでもないので家にいるよりよっぽど気楽だった。
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