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男はゆっくり息を吸って、吐いた。
(落ち着け、水も電気も食事も来ているなら、世界が滅んだなんて馬鹿げたことあるわけがない…妻も子どもも無事だろう…)
ふと、男の脳裏に妻の姿が浮かんだ。
浮かんできたのは最近よく見ていた台所に立っている妻の後姿だ。大量製造されている安価な食事パックではなく、わざわざ自分で食材を調理していた。
あまり気持ちのいい光景ではない。妻はもう自分と同じく老いているのが立ち姿からも分かったし、不満があるなら言えばいいのにわざとらしい沈黙で夫を責める姿だ。進化した家電製品とサービスを使えば楽できる家事を、あなたの健康の為に、だのなんだの言いながらわざわざ手間を増やすのも好ましくなかった。
なのに、それを思い出した途端、猛烈に寂しさが湧いてきてしまった。
男はドアに駆け寄り先ほどより乱暴に継ぎ目の分からないドアを叩く。
「開けてくれ!なあ!私はここにいるぞ!」
手が痛くなるほど叩いたのに、扉になる壁は何も反応しない。
耳が痛くなりそうな程の静寂だ。
男は今まで自分は孤独な人間だと思ってきた。しかし、たとえ自分に無関係な声でも聞こえるだけで十分社会に紛れていたことを知った。
そんな事を知っただけで何も進展しないまま一週間が過ぎた。
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