九 社会部

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九 社会部

 翌日の夕刻。  「社会部って何してるんだ?」  夕食のテーブルに、ご飯をよそった茶碗を置いた。 「事件、事故、社会問題の取材を担当してるんさ。建前上、社会部は社会正義を追求してる。社会部は権力からもっとも遠い所にいる。  政治部や経済部が、政治家や財界人の代弁者となってるのとはおおちがいさ」  真理は味噌汁を飲みながら、焼き魚や肉野菜炒めやサラダを食べている。 「社会部は弱者の味方で権力の監視役だけど、革新派の報道をしすぎたり、事件を推測して警察寄りになりすぎたり、事件や災害で報道被害を起こしたりしがちだ。  信州信濃通信新聞社は規模が小さいから、社会部の取材内容が文化部とダブってる。  社会部に興味あんのか?」  真理は箸をとめて佐介を見た。  佐介はテーブルの角をはさんで、真理の右隣りの椅子に座った。  「田辺編集長に真理さんの席を教えてもらった時から、妙に社会部が気になるんだ」  箸をつかんでサラダボウルからサラダを小皿に取った。今日のドレッシングは胡麻油を使って煎り胡麻を加えてある。胡麻の香りがとてもいい。 「新聞社なんてもんはおもしれえもんだ。政治部や経済部、運動部、文化部で取りあげた取材内容や記事に問題があれば、社会部が批判すんだかんな。  社内に、政府勢力と反政府勢力があるようなもんだ」  真理がわずかに口角をあげて笑った。 「そういうことか」  佐介は野菜炒めを小皿に取って口へ入れた。豆板醤が効いている。 「野菜炒め、辛すぎないか?」  真理はこんな辛いのを食べてだいじょうぶか・・・。 「辛くねえぞ・・・」  真理が、何かいいたげな顔で佐介を見た。 「明日は休みなんだから、いいよ」  佐介は席を立った。テーブルにグラス二つを置いて、冷蔵庫から一升瓶を取りだし、二つのグラスに日本酒を注いで、 「のんびり飲むといい」  グラスを真理の前へ置いた。真理は他人を気にせず、マイペースで飲むのが常だ。  野菜炒めを食べながら日本酒を飲んでいると、 「なあ、サスケ」  真理がトロンとしてまなざしで佐介を見た。 「なに?」  真理が空いたグラスを佐介の前へ押した。 「お代り」 「えっ?いっきか?何か食わないと・・・」  惣菜の皿やボウルを見ると、野菜炒めもサラダも焼き魚も、真理の正面の部分がずいぶん減っている。 「食ってるか・・・」  真理のグラスに一升瓶から日本酒を注いだ。このグラス、ピルスナーグラスだ。ビール用だ。量がふつうのコップの二倍以上入る。 「なあ、サスケ」  日本酒で満たされたグラスを口へ寄せて、真理が呟いた。 「新聞社で皆がサスケを見てたな」 「ああ、見てた・・・」  たしかに新聞社の人たちは佐介と真理を見ていた。顔立ちが似ていると言われれば、たしかに似ている。姉弟と見られてたのだろう。しかし、佐介は真理の曾祖父が残したアルバムが気になって、周囲の目を気にしていなかった・・・。  真理は喉を鳴らして日本酒を一口飲んだ。 「似てるだけで、見られてたと思うか?」 「ほかに何か理由があるのか?」  佐介は野菜炒めを食べながら酒を飲んだ。周囲が見てたのは真理だろう。真理はエキゾチックな容姿をしている。 「サスケを見てたんだ・・・」  真理はまた一口酒を飲んで佐介を見ている。今は惣菜を食べない。  飲む前に惣菜の半分は食べているから、まあ、健康上は良しとしよう・・・。 「俺を見ても、何もならないぞ」 「これ、やるよ。飲んでくれ。十九なんだから、外で飲むなよ」  佐介を見る真理の目が笑っている。なんだか眠いらしい。 「ああ、わかってるよ。飯、食うか?」 「うん・・・」  新たにご飯を茶碗によそって真理の前に置き、真理の前にある冷えたご飯を電気炊飯器へ戻した。  真理は茶碗を取ると野菜炒めと焼き魚をつまみながらご飯を食べはじめた。  そして、ご飯を食べ終えて茶碗をテーブルに置き、右手で頬杖ついた。  テーブルの角をはさんで、真理の右隣りに佐介がいる。このまま居眠りしても佐介にもたれれば、真理は椅子から転げおちない。そこまで考えて、佐介は真理の右横の椅子に座っていた。  案の定、テーブルに頬杖付いたまま真理は眠った。  ああ、歯も磨かないで眠るんだ。虫歯菌は直接感染する。誰かから菌をもらわない限り虫歯にはならない。俺も真理も虫歯が一本も無い。二人とも虫歯菌を保有していないということか・・・。  そんなことを連想しながら、佐介は真理をお姫様ダッコしてベッドへ運んだ。 「ありがとな。だいすきだぞ、あいしてんぞ・・・」  寝ぼけたように真理がそう言った。おそらく、目覚めた時には何も憶えていないだろう。 「いつも、思ってんだぞ・・・」  真理の呟きが聞える。  佐介は、俺の思ってることがわかるのか?そんなことはないだろう、と思った。 「サスケの考えてることは全部わかる・・・」  真理が寝息をたてはじめた。やっぱり寝ぼけてるんだ。そう思いながら、 「片づけて、風呂に入ってくるよ」  佐介は真理に声をかけてベッドから離れようとした。すでに、真理は夕食前に入浴している。 「早く戻って・・・」  真理の声がした。完全には眠っていない。うかつな事は言えない・・・。  キッチンを片づけて、佐介は風呂に入った。  あのアルバムに旧日本軍の戦艦について公表されていない事が多く記載されている。何のために保管されて、なぜ、記載内容が公になっていないのだ?  旧日本政府の関係者で、あのアルバムに関係した人物はたくさんいたはずだ。おそらく、アルバムは何冊も作られて、関係者に配布されたのだろう・・・。  真理の曾祖父がアルバムについて語らなかったように、関係者がアルバムについて口を閉ざしていたのはなぜだ?俺の曾祖父が戦時について語らなかったのを思えば、なんとなく納得できるが、かつての特攻兵が特殊潜航艇の存在を語らなかった事とは内容が違いすぎる。アルバムの記載事項は、旧日本軍の主要戦艦の就航から沈没までの記録だ。これを隠蔽する理由は、敗戦だけではないはずだ・・・。  アルバムの内容を調べる必要がある。真理の曾祖父の素性もだ・・・。当時の曾祖父は単なる公務員では無い気がする。何者だろう?最も考えられるのは諜報員だ。陸軍中野学校がその養成所だ。曾祖父が通っていた夜学はそこか?  当時の曾祖父は、今でいうノンキャリアだ。なったとしても一諜報員だ。その曾祖父があのアルバムを持っていたのは妙としか言えない。  陸軍中野学校の入試は超難関だったと聞く。当時の政府内に特別な内部登用制度があって、曾祖父がそれらをパスしていたとすれば、当時の曾祖父は単なる一諜報員ではなく、政府諜報機関の幹部候補生で、終戦間際、幹部になったのではないだろうか・・・。  その事は政府組織内でも極秘にされて、表向き、曾祖父はノンキャリアの平の職員として動いていた可能性がある。諜報機関の幹部なら、東京大空襲の爆撃地点を知っていて当然だ。爆撃時に布団をかぶって寝ていた事も頷ける。  真理の説明では、曾祖父は原爆が投下された広島へ視察に行き、さらに長崎へ行く途中に長崎に原爆が投下された。この事からも、当時の曾祖父は原爆が投下されるのを事前に知っていた可能性がある。  曾祖父が終戦間際に、東南アジアへ出張する予定だったのは、諜報機関の幹部として、旧日本軍の戦艦の状況調査だったのではないか。終戦間際で戦況が悪化したため、曾祖父は東南アジアへ行かなかったが、あのアルバムが編集されて、曾祖父に配布された・・・。 「サスケ・・・。起きてるか?」  浴室のドアが開き、脱衣所から真理の声がした。 「寝てるんじゃねえかと思って見にきた・・・。もう一度、風呂に入るベ・・・」  ドアを開けたまま、真理はパジャマを脱いでいる。 「あのアルバムのことを考えてた・・・。そのうち、お袋さんから話を聞きたい。都合を聞いてくれないか?」 「ああ、いいよ」  脱衣所で、真理は気軽にそう答えた。
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