三 身上書

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三 身上書

 入学試験三日目の午前で、何事もなく試験が終った。  真理は試験会場を出る佐介に質問しながら録画している。佐介は質問に答えながら駐車場へ歩いて、この大学の特異性を説明した。  論文や面接は、採点する担当者が評価して判断するので、出来ばえは何と言っていいかわからない。特にこの大学は評価基準がいささか厳しいというか高飛車というか、とにかく、年ごとに評価基準が異なるので有名なのだ・・・。 「必ず合格するよ。気にすんな。後期も受けるんか?」 「ああ、その予定だ」  駐車場に着いた真理は録画を停止した。車のドアロックを解除して、車に乗れと示している。佐介は車に乗った。真理は車を発進させた。 「今日はホテルに泊まって、明日、帰省だろう?夕刻までつきあってくれ」 「いいよ」 「時間があるから、ノブチンの家で夕飯を食べてって欲しいんだ。  心配すんな。取材のお礼も兼ねてる。新聞社に話してあるよ」  話しているうちに、車は五分ほど本通りを走って住宅地へ入り、とある住宅の芝生の庭へ入った。 「ノブチンの家だ。原田の叔父さん、ああ、ノブチンの旦那ね。ガレージを作るくらいなら、新しい車に乗り換えるって言って、ガレージを作らないんださ。  本人は家ん中にいるくせに、車は野晒しだ。無駄なことしてる」  真理は、車をガレージに入れれば車の経時変化が抑えられると説明した。  芝生の庭の一郭に駐車スペースがあって、国産車ではない車が二台駐車している。真理は二台の車の横に、真理の赤い中型の車を駐車させた。  真理の車を確認したらしく、玄関からノブチンとノブチンよりやや背が高い原田氏が出てきた。真理と佐介は車を降りて玄関へ歩いた。 「サスケは身長はどれくらい?」  いつのまにか佐介は真理から、サスケと呼ばれていた。 「百八十五。真理さんは?」 「百六十七くらいかな。公称百七十二と言ってる」  真理はヒールの高いブーツを示した。これでハイヒールを履いたら、実質身長は想像できない。原田氏は真理より背が低そうだ。 「おつかれさま!夕飯を用意したから、ゆっくりしてね。真理がいろいろ面倒な事をお願いして大変だったでしょう。  中に入って暖まってね。三月は晴れても、雲が出れば寒いわ」  玄関先で、ノブチンはカーディガンの襟を立てて微笑んでいる。  家に入るとオープンキッチンへ通された。 「いろいろかしこまっても仕方ないから、この方が気楽でしょう。  すき焼きとお寿司を用意したわ。ホントの事を言うと、私、料理が苦手なのよ。だからって外食もあまり好きではないの。だからこんなでゴメンね」  ノブチンは笑顔でそんなことを言いながら、すき焼き鍋を温めはじめた。 「ああ、かまわなければ、俺が作りますよ。我流ですが」 「あら、お願いね。助かるわ」  佐介はすき焼き鍋に脂身を入れた。脂身から油が鍋に拡がるのを見はからって、肉を入れ、砂糖を入れて、割り下をかけまわし、火の通りにくい野菜を入れた。 「肉は食べられますよ」  佐介はいつのまにか鍋奉行だ。 「ネエ、佐介さん。合格したら、真理ちゃんの家に下宿してね。  合格しなくっても、来年受験すればいいんだから、受験がすんだら、真理ちゃんの家に下宿して。お願いよ」  ノブチンがそう言いはじめた。 「ノブチン、よしてよ・・・」  真理も呆れている。 「どうしてですか」  佐介は呆気にとられながらも、下宿して欲しいという理由を訊いた。 「若い女の一人暮らしで物騒なのよ」 「俺が下宿する方が物騒かも知れませんよ」 「あら、だいじょうぶよ。佐介さんはそんな人じゃないわ。もしもの事を考えて、身上書を書いてもらうわ。用意してあるのよ。  下宿してね。お願いね」  ノブチンは隣室からファイルを持ってきた。開いて、項目を書けと示している。 「いいですよ。それで気がすむなら・・・」  佐介は身上書の項目をありのままに記入して、ノブチンに渡した。 「あれ!みどり市なのね!真理ちゃんも私も太田市よ。同じ県なんだ・・・」 「太田市の小田というのは、あの飛行場を持っていた小田飛行機の親戚ですか?」  佐介は太田市の小田という姓に興味が湧いた。 「あら、あたしたちの実家よ。真理ちゃんの母親は私の姉で実家を継いだの。  私たちの祖父の事をよくご存じね。昔の話よね」  真理の母・小田佳子と原田伸子は実の姉妹だ。かつての小田飛行機の経営者の子孫だ。  佐介は驚いたまま、話を戻した。 「合格したら、教養課程は松本ですよ」 「ここから通えばいいわ。真理ちゃんも通ったのよ。  長野から松本まで快速なら一時間。普通なら一時間半よ。松本駅から教養部までバスで三十分はかからない。充分に通えるわ」  ああ言えばこう言うノブチンだ。なぜか真理と原田叔父はノブチンの話に口を挟まない。佐介は、ノブチンが事前に真理と原田叔父に何か話していたような気がした。  身上書を読みはじめたノブチンが静かになった。いったん途切れた食事が再開した。  佐介は、真理が語る新聞社の出来事を原田叔父ともに聞きながら、すき焼きを作った。  気がつくとノブチンの姿が消えていた。 「叔母さんは?」  真理に訊くと、真理は廊下を隔てた隣室の引き戸を開けた。  隣室からノブチンの声がする。 「あーら、そうなんですか・・・。  ぜひとも、おねがいしますね・・・。  とってもいい方で、私の息子にしたいくらいですよ・・・。  ええ、ぜひ、お願いしますね・・・。  ええ、松本までは快速で一時間。普通なら一時間半です。駅から教養部まて三十分もかからないわ・・・。  ええ、だいじょうぶです・・・・。  はい、お願いします。いずれ、姉がご挨拶に伺います・・・。  それではこめんくださいませ」  ノブチンは電話を切った。 「なにしてんの!」  真理が興奮している。 「何って、佐介さんのお母さんの許可を得たの。下宿してもらうのはオーケーよ」  ノブチンは佐介と真理を見て笑顔だ。
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