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エイッツラルグは胸ポケットに入れていた懐紙で剣についた血と脂を拭った。汚れた懐紙は夜風にさらわれて飛んでいく。振り向くと、娘と目が合った。
月明かりに照らされた白いーほぼ朱に染まっていたがードレスはボロボロで、それに負けず劣らず彼女自身も満身創痍に見えた。
先ほどーと言っても良いのかは不明だがーこの娘の獲物を横取りしたのを思い出した。激昂し、エイッツラルグを睨み付けてきた眼差しは、今は月明かりのように冴えざえとし、冷やかな無表情に戻っていた。
娘はエイッツラルグと目が合うといきなり興味を無くしたように、視線をそらした。ボートが着岸する桟橋に向かって歩き出す。
「あまり海に近づかない方がいい。海風は冷たいだろう。風邪を引くぞ?」
エイッツラルグは薄く笑いながら娘に声をかけた。心配しているわけではないが、何とはなしにかけた言葉だった。
「余計なお世話よ」
娘も答える義務があるわけではないのに、そう返してきた。そして、何か歩きづらかったのか、ダイヤの散りばめられていた真っ赤に染まった靴を脱ぎ始めた。それを見つめていると、オルカが不意に顔をエイッツラルグに向けた。
「言い忘れるところだった」
彼女は脱いだ靴を海に放りながら、夜風のように軽く、宣言をした。
「ー次邪魔をしたら、貴方も殺すから」
海に靴が沈む音が聞こえた。
エイッツラルグはその宣言に微笑みを浮かべると、歩き出した。娘と肩が触れるような近さで、すれ違いざま、囁いた。
「その前に、私に殺されなければいいな?」
二人の間を冷やかな風が吹き抜ける。
その風に紛れて、夜に啼く筈もない鴉が、何処かで啼いたような気がした。
◆end◆
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