3人が本棚に入れています
本棚に追加
もっとも、案外に”見栄坊”で、自分たちが、どのように”変な人種”として認識されているのかを知りたくて仕方が無いという、矛盾したものを持っているのも事実だ。
だが、まあ、良い、そんな話は、たぶん、諸君は、興味は無いだろうな。
名古屋市には、二十余の区があり、それぞれに10万人ほどの住人を抱えている。その一つが、中村区である。
なぜ中村区かというと、あの天下人、太閤秀吉の誕生した土地だからである。諸君、今度は日本史の時間だ。思い出してくれ。
旧、尾張中村。そして江戸時代には、徳川御三家の一つが、名古屋を拠点にしており、その居城である名古屋城は、南から攻めあがってくるかもしれない外様大名どもを迎え撃つ事実上最後の防波堤として、大阪城以上の威容を誇る巨城であった。
のちに、歌舞伎の中村一門は、ここから江戸に移ったと言われるが・・
明治維新まで平穏だったこの尾張は、大きな事件もなく過ぎていった。
御三家でありながら、長い江戸時代の間、しかし一度も将軍を送り出すことがなかった。
そして、明治維新のときに北上してくる、錦の御旗を掲げた官軍の前に、特段の抵抗をすることなく、開城した。明治維新の隠れた協力者といえば、そうなるだろうが、もし、本気で抵抗していたら、濃尾平野は、血に染まったことだろう。
もし、そこで東海道を北上する官軍を撃破できないまでも、戦力半減にしていれば、日本は倒幕・・徳川幕府抜きの明治政府にはならず、泣く泣くにせよ徳川家を巻き込んだ共和国になり、あるいは、今とはまったく違う歴史を歩んだかもしれないが、それは、歴史好きの暇人の推理に任せることにしよう。
まあ、そんなこんなの中で、あらかじめ断って置けば、当然ながらこの物語に登場する名古屋も、むしろ、そういう風に、倒幕のならなかった”架空の日本”そして”架空の名古屋市”の中村区の泥津町(ひじつちょう)に、この”白蛇苑”学園が在ると理解してくれたまえ。
筆者の聞くところに拠れば、この学園は、その江戸時代にこのあたりに縁起物の大きな白蛇が現れたと、一時期人々の信仰を集めた神社のあった跡地に明治時代に、今の学長理事のご先祖によって立てられたのだった。白蛇苑学園は、その後の経営者の手腕と拡大方針の結果、幼稚園から大学までの一貫教育を含めた、中部圏で指折りのマンモス学校に成長したのだった。
最初のコメントを投稿しよう!