<前置きという、読者へのお手紙>

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 なぜ、そんなことができたのか。それは、この学校の創設者が”怪しげな”宗教法人の支部の主宰だったからである。その宗教団体は”明陰道”(みょうおんどう)である。  宗旨というよりも、呪術色の強い修法(メソッド)を重視する団体なのだが、ちゃっかりと宗教法人を名乗ったのは、まさに税金対策に他ならなかった。  そういう”泥臭い、したたかさ”を隠さないのが、明陰道の真骨頂だったとも言えるわけで。繰り返すが、明陰道の総本山というか、本部は京都にある。  エドの本部がかなり大きい力を持ってきているが、名誉的にはまだ、発祥の地の京都なのだ。明陰道、あの陰陽道の分派支流であることを標榜している。それも”あやしげ”なのだが、資料的には、確かに千年近い歴史がある宗派なのは事実だった。  教団の運営は、基本的にアバウトだった。支部の運用も、そうだ。ある意味、独立採算制が基本だったからだ。  よって、この中部圏統括だった名古屋市の支部長は、学園経営に踏み切ったのだった。とにかく”やってみなはれ”が、教団経営の基本だったのだ。  そんなわけで、学園創始者は、長い間放置されていた白蛇神社の広い土地に目をつけて購入したのだった。噂に寄れば、白蛇さまが、何かの加減で”祟り”をするようになって、人々が離れて長らく放置されることになったということらしい。  でもって、お約束的な話だが、その祟りを解くのに、初代学長がその魔道を発揮したという武勇伝という名の自慢話が、学園にはある。  白蛇さまを敬うことで、改めてそのご利益を得られるようにしたということもあり、それが本当か嘘かわから無いが、実際、その後学園は大きく発展することができるようになったのは事実なのである。  今では、エドではどうか知らないが、ことこの名古屋を中心とした中部圏の重鎮と呼ばれる人々の中で、旧帝国大学出身者よりも白蛇苑学園の出身者が多いのもまた、事実なのである。  そうした白蛇苑OB会で、日本の中で、異質さゆえに半ば独立国のようになっているというジャーナリストがいるほどだ。もちろん、それを真に受ける人間はまず、いないのだが。  繰り返しになるが、この学園の特徴は、明陰道の手法を授業に取り入れているところだ。
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