<第一章:薫>

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<第一章:薫>

 今は、白蛇苑学園高等部が、創業の土地にある。中等部などは、学園規模が大きくなるにつれて、それぞれ、中村区内の他の場所に移設されている。  明治時代になってつくられた、太閤秀吉の生誕地を記念した豊国神社を中心にした中村公園の南、参道の基点であるコンクリ製の朱塗りの大鳥居から、さらに少し南西にいったところに高校がある。  校舎は、明治の時代のままの、古風なデザインだ。校門は、鉄製の柵、年季の入った、これも第二次大戦中の空襲から生き延びたシロモノだ。この近所では、当時下手に防空壕に逃げこむよりも、白蛇苑の校舎に逃げた方が安全だという根拠の無い噂があったほどだ。  門扉には、安倍清明の六芒星紋と白蛇をあしらったシンボルがある。これが、朝の八時二十分には閉じられる。それに間に合わなければ、裏門からこそこそと、門番に睨まれながら入ることになる。  先の尖った鉄柵を身軽く飛び越えようとする猛者もいるが、上手くいけば良いが、なかなかに制服を破るリスクはかなり高いといわざるをえない。この鉄柵を軽々と越えられるヤツなら、どんな競技であれ全国大会にいけるという噂がある。もっとも、そういう人間は、朝錬を怠るものでは無いので、そもそも遅刻する心配はまず無いのであるが。  月御門薫は、時間の前に余裕でその門をくぐる。挨拶の声を掛け合って、入っていく生徒達もあるが、薫はちょっと手を振って合図するだけだ。それでも、生意気だという人間は、この学校にはまず存在しない。  それも、帝王学というものだからだ。くだらないと思うが、確かに偉そうにする人間を尊敬する性向が人間には存在するからだ。冷酷ではないが、近寄りがたいオーラをまといつかせよ。それが、彼の教えられた行動様式だった。  それが、次世代”安倍生命”・・彼ら明陰道の最高責任者のことだ・・を担うものの宿命だと教えられたからである。  肩の凝ることだが、それが、彼の運命だった。 るるる・・  背後で頭を下げた運転手が、関に戻り、電気自動車のナユタのセンチュリオン・・世界的自動車メーカ、ナユタの最高級機車だ・・がわずかの音を立てて、車庫に向かうのがわかる。  月御門家。京都では傍流扱いなのだが、彼の家こそ、この中部圏での明陰道の宗家だったのである。陰陽道の太祖安倍清明の一族はのちに、土御門の苗字を賜ったが、それに対抗しての苗字だったのは、間違いない。
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