<第一章:薫>

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 学友と話をあわせるために、勉強の合間に、早回しでBGM的に流して時間を調整したほどである。もちろん、それを友達に吹聴するほど性格は悪くない。  運動神経も、十人いればその上位側に立てるほどの”器用さ”を持っていた。  それも、きっと明陰道の英才教育の結果なのは間違いないと、薫は理解している。色々な仮説はあるにしても、人の脳神経を刺激してその機能を高める”修法”であることは間違いない。  むろん、その中には、明らかに”それはないだろう・・”というものもあるが、いくつかある修法の中に、おそらく現代医学も気がついていない方法論が混じっているに違いない。  ある意味、幼いころの薫の”修法”による長足の進歩を知らされた父・光が、”安倍生命”も夢じゃないと判断したのだともいえる。もし、薫が凡庸だったら、いかに欲まみれの父でも、そのような野望を持つはずがなかったからである。  迷惑な話だと思わないでもないが、まあ、自分が普通にやる限りでは、”到底、次の”安倍生命”などにはなれるはずがない”とわかっているので、実は、安心している。”安倍生命”になるというのは、もっと政治的な駆け引きの産物であると、今の薫にも十分、推察できることだった。そこまで、父親に付き合うつもりはなかった。  もっと、自分は自分でできることが他にあるのではないか、まだ、それがなにかまでは見つけ切れていないが、そこは、逆に、彼は、あまり悩んでもいなかった。それよりも、青春というものを楽しもうと、どこか気楽に考えていたのである。未知の未来に、恐れが無いかといえば嘘になるが、悩んでも、未知である事実は何も変わらないのならば、それはそれということで、楽しんでしまえという、いたって健康な発想だったのである。  彼が、その若さで感得するのは、いささか場違いな気がするが、”若いこの時期だから、この時期だけに感じられる貴重な経験があるから、それを大事にするが良い”という、健やかな意識を持っていたのである。いわゆるの”暗い青春”というのしか知らない筆者からすると、うらやましい限りなのだった。その意味であろうか、薫の顔はどこか、仏像のように笑みを浮かべているかのような風情があったのである。  白蛇神社だったなごりが、校庭の隅にある。
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