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 自分が体験したことをただの一つの物語のように人に語れるのだろうか。きっと細部の記憶は擦り切れてしまって、あの希望とも絶望ともとれるひと時の興奮は華やかな誇張によって美化されてしまうかもしれない。しかしそれこそが私のしたいことだろう。今新しい混乱の中にいる私は、自分の人生の中でも最も自由に飛び回りながら、同時に常に何かに支配されているようでもあったあのひと時を、たとえ賛同してくれる人が一人もいないとしても、自分自身で肯定したいがために語ろうというのだ。  私は人間関係を築くということが得意ではない。長く続かせるということがどうにも不整合に思えてしまう。なぜなら、人生というものを真っ暗い闇の中を歩き続けることと考えているからだ。一寸先は闇というが、私にとって人生というものは常に闇だらけだ。そしてたまに辿り着いた仄かな明かりの下でのみ、ひと時人間関係というものが繋がりあうのだろう考える。そこで起こる様々な安らぎや平穏とは感情と幸福も同じく、瞬く間に消え失せる香りのようなもので、それを振り払い振り払い暗闇の中を進むことこそを私は人生と呼ぶ。しかしその中でまだ残り続けている香りを取り出してみて私は吟味したい。そこには後悔が含まれているのだろうか。人が振り払うことのできないものは、幸福でも絶望で もなく後悔だけなのだと私は知っている。  後悔といえば、私と彼女との出会いはそれを生むことが決まっている出会いだった。どういう経過を辿っても五年か一年か、はたまた一月後には二人とも後悔というシミで体中のどこかを染めていたかもしれない。それでも警戒や緊張を私にもたらしながらも、まるで無限の体長を持つ蛇の脱皮の様に、末長く続くはずだった。それが突然終わりを迎える。運命の神が鉈を振り下ろし、蛇は真っ二つに断ち切られた。それは世の中の最善といえるだろう。私はのたうち回る蛇から逃げ出して、また暗闇の中に潜り込んでいった。いつものように。それが私の考える人生というものだったのだから。  そんな私が古びた記憶を取り出して、どんな目で、そしてどんな体温で眺めるのだろう。当時私の中にあった情熱に触れられるのか、私はそれを不安に思いながらも語りだしたいと思う。
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