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初め、彼女とはほとんど会話をすることはなかった。ただ彼女は真面目すぎるほどに係を務めた。雑用もあまりない授業であるのに、数学の時間の前には必ず私のところに「何かありますか」と顔をだし、授業の後にも「運びましょうか」と声をかけてきた。他の教師たちからは羨ましがられた。教師だって生徒に世話を焼かれようものなら嬉しいようだ。それでも私は大体「今日はいいよ」と返事をした。私は近づくでもなく遠ざかるでもなく、そんな意識もないままにただ〝媚びを売っている〟なんて噂されていないか、彼女のことを少しだけ心配していた。そんな心配をよそに転換が起きた。 一学期中間の定期試験が近づいた。教師にとって新しい年度が始まるとそれはすぐにやってくる。これだけの短い期間のどんな成果を見ようというのか、と思うほど。しかし年齢による時間の進みの違いからなのか、生徒たちは様々吸収し、顔つきも中学生らしさがとれ、高校という場所になじみだす。そして私と彼女との距離が縮まる。 とある授業前に彼女がいつものように顔を出した。「何かありますか」と。その日は配るプリントがいくつかあったので運ぶのを手伝ってもらうことにした。私が「落とさないようにね」と声をかけると彼女が「ええ」と親しげに返事をした。私たちは連れ立って教室に向かった。職員室から教室までは短くもなく長くもない。話題を提示するほどは話せず、無言だと少し間延びしてしまう。そんな不都合な距離を歩いていると、彼女が話しかけてきた。「もうすぐテストですね」いささか驚きも伴いながら「そうだね」と相槌を打つ。教室までを歩きながら彼女が話しかけてきたのは初めてだった。すると彼女が「私、数学百点とりますけど、そしたら私の話を聞いてもらえますか?」と言った。唐突すぎてなんと 返せばいいのかわからないまま教室が近づいてくる。「よろしくお願いします」私の驚きであく空白すら計算していたように、返事をする間もなくちょうど教室に辿りついた。不都合な距離。彼女は扉を開き、中に入る。私も後に続くが、話というのは何だろうかとか、満点をとると宣言しつつそれを条件に出すのはなんかおかしくはないだろうかとか、意味のないことが頭を駆け巡っていた。授業はやりきった。プリントは配り切り、テスト前に回収するような宿題も出しておらず、収まらない混乱を抱えて一人で職員室に戻っていった。
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