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濁る音の切り替え方
「はる、どしたん。音濁っとるで。集中できへんのなら休憩してき」
「……すんまへん。やれますんでやらせてください」
顧問のとうかの叱責を受け、はるは自分が思想にふけっていることを自覚した。集中を取り戻すべく、はるは音楽室の天井を仰ぎ深呼吸をする。
はるは、――ナツのことを考えていた。
(……まさかナツがあきとのことを気にするなんてな)
はるは自分をいつでも冷静であれる人間だと思っていた。事実、感情に揺れ動きはあれども制御を失ったことは無かったし、これからも無いと信じていた。
だけど――
(あきとのことを話すのを戸惑ってもうたし、言わなくていいことまで言ってしもた。……あきとの噂のことなんてあの場で話さんでよかったことや)
ナツと話した時のはるは確実に感情の制御を失っていた。
あの時、はるは確かにナツにあきとのことを教えたくなかったし、ただ教えるだけにはとどめたくないと思っていた。
それはもしかしたら、恋愛感情と呼ばれるものなのかもしれない。はるはあきとのことが好きで、ナツに対して嫉妬したのかもしれない。けれど、そうではないとはるは思っている。
大体はるは、今のあきとのことが好きではない。昔の音を奏でるあきとであれば好きであったかもしれないが、今のからっぽの音になったあきとを好きにはなれなかった。
(だってこんな音、誰が吹いたって一緒や……)
もちろん、技術の話ではない。むしろ、技術や音質で言えばうちの部活の中でもトップクラスだ。トランペットパートの中でも抜きんでている。
だけど、あきとの音は『ここに居る誰か』や『いつかなりたい何か』に向けられて吹かれていないのだ。同じ空間で演奏をしていても、どこか知らない遠くに向かってあきとは吹く。それが、はるには気に入らなかった。
はるの吹くトロンボーンは『調和』に特化した楽器だ。スライドで自由自在に音程を変えられる特性上、音感に優れた奏者が多く、その激しさと柔らかさを兼ねそろえた音で他の楽器とのからみが多い。
だからこそはるは今のあきとが好きではない。誰の音にも合わせられることが自身の存在意義だと考えているはるには、どうやったって合わせられないあきとの音を好きにはなれない。
(こんな音、風に吹かれれば消えてしまうで――)
はるはいつものように吹き方を切り替える。
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