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コーヒーカップを降りて、閑散とした園内を歩く。星明かりさえない真っ暗闇の中、無数の電飾に照らされるこの遊園地には、ひとつの人影もない。メリーゴーラウンドが、コースターが、フリーフォールが、海賊船が、誰も乗せないまま賑やかに動いている。
はじめは見たことのない乗り物に心を奪われるだけだったけれど、熱の冷めた目で改めて見まわしてみると、なんだか気味が悪い。まるで死体を無理やり動かして撮影したコメディを見ているみたいに、居心地が悪い。
私の悪寒に気づかずに、モルは数歩先で呑気に鼻歌を歌っている。変な歩き方をしていると思ったら、どうやら紺色のタイルだけを踏んでいるらしかった。
「危ないよ、普通に歩かないと」
「危ないことなんてあるわけないだろ、この場所に」
モルはくるりと振り返って言うと、そのまま後ろ向きに歩き出す。運動神経は良い方じゃないはずなのに、一度も踏み外すことなく、器用に紺色だけを踏み続ける。そうやってどんどん先へ行ってしまう彼と私の距離が、少しずつ開いていく。
「ねぇ、また背、伸びた?」
「もうそんな齢じゃないよ。伸びるのなんてひげぐらいのもんさ」
「そっか。もうおじさんなんだよね」
「……おじさんじゃない。まだお兄さんで通用する」
むっとするモルに笑いながら、私はずいぶん時間が経ったことを実感する。時計を持たないこの遊園地は、いつまでも続く暗闇の中で閉園することなく騒ぎ続ける。私にとっての時計はモルだけだ。
そんな彼が、もう子どもじゃなくなってしまった。それがひどく心細くて、足が竦んだ。今にもしゃがみこんでしまいそうになるほど。耳に届く音楽たちが白々しく、よそよそしく聞こえる。鮮やかな電飾たちの点滅が、私を嘲笑っているみたいに映る。「どうせこんなのが好きなんだろ」と。
もう、おしまいなんだ。ウサギの着ぐるみが差し出す風船を眺めながら、そう思った。
「こんなのに喜ぶほど子どもじゃないよ、私」
「何言ってるんだよ。子どもだろ、トーは」
あっけらかんと言うモルの向こうで、大きな観覧車がごうごうと回っている。この世界の歯車みたいに。
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