誰も知らない、君のこと

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   空を見上げると、また雪が降り出していた。  トレーナー一枚では太刀打ちできない寒さで、思わず両腕をさすった。白い息が力尽きては落ちていくのを、無気力に見つめていた。  ふと、鍵を閉め終えた教授が走り寄ってくる。  その手には、座席に置いてきたはずの灰色のコートがあった。教授は、忘れ物、と言ってまた笑った。 「……君らのことはね、見えてるよ。講義の間は壇上しかライトは当たってないけどね、照り返しで意外と見えるんだ。特に、吉村くんみたいな熱心に取り組んでる生徒はね」  はっとした。  ……俺の名前。何故知っているのだろう。  教授は意地悪い顔をしている。 「この講義は基本、生徒との交流は無いけどね。意外と見ているものだよ。僕だけじゃない……色々な人がね」  教授は傘をさすと、こちらに傾けた。教授と相合傘なんておこがましい気がしたが、コートを着ると、俺はその中にそろりと入り込んだ。  思わず、地面に向かって呟く。 「……誰も、俺のことなんて……見てないと思ってました」  その瞬間、何故俺は〝ワタナベカナエ〟を探したのかが分かった気がした。  コートを返したかった、だけじゃない。ただ興味があった、だけじゃない。  俺は一言、お礼を言いたかったんだ。  金もセンスも無く、大学の評価も低い。華やかな美大に入っても内気で、友達の一人もおらず、冴えない男。まるで透明人間のような、存在価値の無い自分。  そんな俺を、誰かが気にかけてくれた。  誰かが見ていてくれた。この真冬に薄着の俺に、コートを掛けてくれた。  頑張れ、と言われた気がした。  大丈夫だよ、と言われた気がした。  事実は全然違うところにあるのかもしれない。こんなの、ただの妄想かもしれない。それでも。  俺はコートを掛けてくれた人物に、お礼を言いたかったのだと思う。 「……気にかけてくださり、ありがとうございます」  何だか泣きそうになって、目を伏せた。  教授は何も言わず、ただ静かにバス停までの道を一緒に歩いてくれた。  
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