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誰の赦しも得ないまま、わたしは立ちあがると居間を去った。
襖をあけて暗い廊下に出て、小走りで駈ける。
にせものの、武士。
それは、山口の家も同じだ。
山口のおじさんは、一君が生まれる前に苦労して御家人株を買ったのである。そうして武士としての地位を手に入れた。
生粋の武士じゃない。
にせものという言葉は、この家の中では禁句に近い。
障子戸が開けはなたれた渡り廊下は夕闇が濃く混じり始めた西日に染まっていた。
庭木が奇妙な影を伸ばしている。
その影を踏みながらわたしは走り、ようやく一君の部屋にたどり着いた。
襖の前で足をとめると、もう何も構うことはなく、わたしは言った。
「ていです、入ります」
ダメだともいいとも言われない先に、襖を開いた。
障子戸が開かれており、部屋は強い西日に満ちていた。
壁を背に正座をしている一君は、濃い影を顔に落としながら視線を動かした。
目があっても怖くもなんともなかった。もう、彼は得体の知れない猛獣ではなく、普通の人間の男の子である。
「もう食べたのか」
しかし彼が放った言葉はこんなものだった。
わたしはそれを聞いて首を横に振り、黙って彼の前にきて正座をした。
自分よりはるかに背の高い彼を見上げ、わたしは言った。
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